■又一(マタイチ)布屋松村家の記録
明治期の利尻島における漁場経営や物流を示す資料のなかで、郷土資料館には2017(平成29)年に受け入れた又〇(マタマル)綱島家由来の漆器や陶磁器などが収蔵・展示されています。北見神社境内に顕彰碑が残されている綱島貞助は、利尻島の水産業の発展改良や漁業組合設立などの功績を残した人物で、1855(安政2)年に福山の松村幸右衛門に仕え、1871(明治4)年鬼脇に移住、明治9年に松村漁場の支配人になりました。漁業に従事しながら、利尻郡漁業組合(明治19年創設)の初代頭取となり、その後鬼脇村総代として学校や病院の建設などにも尽力した人物といわれています。
漆器を収めた木箱には、能登輪島や小樽などの地名が記されており、当時小樽を経由して輪島塗の漆器などを買い求めたことがわかります。数ある資料のうち、木地蝋塗廣蓋(きじろぬりひろぶた)が収められた箱(下記写真)には、「又一布屋」の焼き印や「布屋成儐主」、「松村主」と書かれており、綱島家と松村家のつながりを示す唯一のものです。
では、松村家とは、どのような家柄だったのでしょうか。松村家は、松前袋町に拠点を構えた漁業家で、近世には、近江商人として活躍した又十(マタジュウ)柏屋藤野家の親類として、廻船問屋を営んでいました。前掲の松村幸右衛門は、利尻島漁業の草分けのひとりで、明治4年に利尻島の漁業経営に参入しています。明治35年の記録によれば、松村家は小樽に本店を構え、利尻島に2つの出張所と14の漁場を所有する一大漁家となりました。松村家の記録については、資料館に展示している廣蓋や文書のほか、北大資料室と寺島菓子舗さんに多くの文書などがのこされています。
綱島家資料の寄贈元である藤井雅章さんには、受入から資料の内容について便宜をいただきました。今回ご紹介した資料については、資料館のサイト((本紙掲載)QRコード参照)でも見ることができます。本記事に対する情報やご意見をぜひお寄せください。
教育委員会 山谷
【電話】82-1370
※又一や又○、又十とは、各家の屋号(家印)を表しています。
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