■袋澗とモッコ
鰊御殿とまり館長 増川 佳子
今年も暑い暑い夏です。夏休みに入り、海水浴をしている方々を見かけるようになりました。今は泳げる所が限られてしまいましたが、私達が子どもの頃は近所の海ならどこででも泳いでいた(潜っていた)ものです。泳いでいたのはもっぱら何とかの澗と呼ばれている“袋澗”や“切澗”。「何でこんなに自然のプールがたくさんあるんだろう」などと不思議には思っていたのですが、鰊漁で使われていたことなど全く知らずに、ただただ“澗”の中で遊び呆けていました。
袋澗は、漁獲した鰊を確実に運び入れる場所であり、持ち船の停泊にも使われた個人所有の港でした。日本海側、特に泊村を含む積丹半島西部に集中している(昭和62年発行の「積丹半島の袋澗」によると積丹半島全体で99カ所、泊村には39カ所あったようです。)という特徴があります。鰊漁が行われる3~4月の春先の日本海は、北西の風が強く吹き、急に時化に襲われると定置網(身網)に入った大量の鰊を全部海中に放棄しなければならない場合もありました。そのために考え出されたのが、鰊が10石~15石(1石=750kg)入る“袋網”でした。身網の中の鰊をこの“袋網”に小分けにして伝馬船で“袋澗”に運んだそうです。当時は冷蔵設備もなかったので春のまだ冷たい袋澗の中は腐敗を遅らせる役目もあったようです。「この人の手が加わったような岩場は何かなと思っていました」と『鰊御殿とまり』に来られたお客様の中にも“袋澗”に興味を持たれる方がいらっしゃいます。北海道の日本海側特有の珍しい海岸線ですが、長い年月波に洗われ続け、次第に消滅しつつある貴重な故郷の景色ともいえます。
そして、袋澗に一時保管された鰊を運んだのが“モッコ(畚)”という木製の背負い箱でした。そもそも“モッコ”とは、むしろや網の四隅にひもを取り付け、棒で担いで運ぶものを指すそうです。しかし、北海道日本海沿岸の鰊漁の最盛期は気温がまだ低く、籠では背中がぬれ体が冷えてしまうため木で作られました。また、逆三角形の形は背負ったまま体を傾ければ要領よく中の鰊が排出されるというシンプルで効率的な道具でした。
『鰊御殿とまり』にも10個ほど展示しています。各漁家が所有し、箱の表面には屋号が記されたものもあります。先月、井口様からも子供用の縦・横30cmほどのかわいらしいモッコをいただきました。小さいのですが持ってみると結構重たく、2kgほどあるかもしれません。それならと石蔵に展示している大人用の物を持ち上げてみてびっくり。厚さ1cm以上の木で作られたモッコは10kgほどもありそうです。これに、50~60匹もの鰊を入れ運んでいたようです。海水が冷たいとはいえ、生鰊の活きはどんどん悪くなってしまいます。モッコ担ぎは昼休みもなく、握り飯をほおばりながら総重量25~30kgを背負ってひたすら歩き続けたといわれています。
<この記事についてアンケートにご協力ください。>