今から120年以上前の1898年(明治31年)、清水町熊牛地区に十勝開墾会社の農場が誕生しました。この会社を設立した人物のひとりが『渋沢栄一』です。
今風に言うと、当時の十勝開墾会社は、十勝開拓プロジェクトを立ち上げ、現地で開拓を担うスタッフを募集。その応募者99人(石川県や福井県出身)が熊牛地区に集まりました。
しかし、交通の不便や冬の厳しい寒さなどで離散者が相次ぎ、会社は存続の危機に。渋沢栄一らは再建計画を重ね、1907年(明治40年)の鉄道開通を転機に危機を乗り越え、その後会社は発展していきました。
困難な状況でも、決して十勝開拓プロジェクトを諦めなかった『渋沢栄一』らが、清水町の礎を築いたのです。
■町内熊牛地区に現存する十勝開墾会社農場畜舎
1919年(大正8年)に建てられた十勝開墾会社農場畜舎が町内熊牛地区に現存します。建築から100年以上経った今も、持ち主の澁谷農場の牛舎として、大切な役割を担っています。
・図書館の蔵書で「論語と算盤」を検索
・渋沢栄一と熊牛地区のパンフレット
(※本紙二次元コード参照)
※パンフレットは文化センターや御影支所にも置いています
■Who is he? 渋沢栄一ってどんな人?
約500の企業設立や育成に関わり、約600の社会公共事業・教育機関の支援に尽力した偉大な実業家。日本で初めて銀行を設立した人物でもあります。「論語と算盤」という精神を通して、自分たちの利益のみを考えるのではなく、利益を社会に還元することが、人々の幸せと国の豊かさにつながっていくという考え方を説きました。
※本紙の渋沢栄一の肖像は埼玉県深谷市より提供
■2024.07.03(WED)渋沢栄一が新しい顔に
新しいお札発行
いよいよ来月3日、日本のお札が新しく生まれ変わります。一万円札は、約40年ぶりに福沢諭吉から肖像が変わり、清水町の礎を築いた『渋沢栄一』が新たな顔となります。また、新しいお札には、みなさんが安心してお札を使えるよう、精巧な偽造防止技術が新たに採用されています。日本のお札がどう変わるかを見てみましょう。
◆POINT1
◇ユニバーサルデザイン(誰もが使いやすく)
福沢諭吉からバトンタッチ!
見比べてみてね!
識別マーク:お札の種類を指で触って確認できるマーク。お札の種類によって、違う場所にあります。
・渋沢 栄一(しぶさわ えいいち)…「近代日本経済の父」と称され実業界などで大活躍しました。
数字の大型化:従来のお札よりも、額面の数字を大きく表示して、お札の種類をわかりやすくしています。
・東京駅(丸の内駅舎)…重要文化財の一つで、赤レンガ駅舎として親しまれてきた建物です。
◆POINT2
◇表も裏も図柄が新たに(近代日本を代表する人物へ)
フジ(藤):日本で古くから親しまれ古事記や万葉集にも登場。
津田 梅子(つだ うめこ):日本初の女子留学生の一人で、当時6歳でアメリカへ。帰国後は、日本女性への高等教育や地位向上に尽力。
樋口一葉からバトンタッチ!
富嶽三十六景(ふがくさんじゅうろっけい)「神奈川沖浪裏」:江戸時代の浮世絵師葛飾北斎の代表作品。
北里 柴三郎(きたさと しばさぶろう):世界で初めて破傷風(感染症の一つ)の予防や治療方法を確立し、多くの人々の命を救いました。
野口英世からバトンタッチ!
◆POINT3(世界初採用)
◇精巧な偽造防止技術
肖像のすかし背景に「高精細すき入れ」を加え、見る角度によって3Dで表現された肖像が回転する「3Dホログラム」を新採用。この2つの技術のお札への採用は世界初です。
・3D変化を動画で体感!(※本紙二次元コード参照)
本ページのお札に関する画像や文章は国立印刷局「新しい日本銀行券特設サイト」を加工・編集して引用しています。また、国立印刷局の許可を得て掲載しています。
新しい日本銀行券特設サイト:【HP】https://www.npb.go.jp/ja/n_banknote/
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