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シリーズめっけたぁ!!おらがの文化財(92)~南房総市内の文化財を紹介します~

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千葉県南房総市

■市指定有形文化財(工芸品)
『梵鐘(ぼんしょう)』
所在地/千倉町北朝夷(きたあさい)2392(千倉地区)
所有者/圓蔵院(えんぞういん)(真言宗)

□波乱の歴史をたどった300年前の鐘
北朝夷にある圓蔵院は、室町時代の文安(ぶんあん)元年(1444)開山と伝わる寺院であり、江戸時代には、安房国(あわのくに)における真言宗智山派(しんごんしゅうちさんは)の拠点の一つとして、53カ寺を統括していました。寺は当初、北朝夷の別の場所にあったと伝えられていますが、元禄(げんろく)16年(1703年)に発生した元禄地震(げんろくじしん)で被災したため、現在の場所へ移転したと考えられています。
境内の鐘楼(しょうろう)に吊り下げられている梵鐘は、「享保(きょうほう)八九卯辰両夏四月穀旦(うたつりょうかしがつこくたん)」と刻まれており、一説によると、元禄地震後の移転・再建事業の一環として、享保8~9年(1723~1724)に造られたものとされています。
この梵鐘は、大きさが総高133cm(鐘身(しょうしん)は88cm)・外径71.9cmで、上部には飾りの突起(乳(にゅう))が合計で108個付けられています。また、鐘身にある継ぎ目の痕跡から、鋳造(ちゅうぞう)は3段に分けて行われたことがわかります。
鐘身の中段には、圓蔵院住職の日盛(にっせい)と熊井新佐衛門(くまいしんざえもん)・高木新八郎(たかぎしんぱちろう)・小西源兵衛(こにしげんべえ)の3名が造立の中心となり、他に25名の人々が寄附を行い、江戸の鋳物師(いもじ)である西宮大和守藤原常重(にしのみややまとのかみふじわらのつねしげ)と長五郎(ちょうごろう)が鋳造したことが刻まれています。
第二次世界大戦の際には、金属類回収令(きんぞくるいかいしゅうれい)により軍需物資(ぐんじゅぶっし)の材料として供出されましたが、終戦から30年近く経過した昭和49年(1974)に山梨県内の寺院で発見され、翌年に圓蔵院へ返還されました。

□公開
・常時公開
・トイレなし/駐車場あり

*マナーを守って楽しく見学しましょう。
*見学する時は、所有者・管理者の指示に必ず従ってください。

問合せ:教育委員会生涯学習課
【電話】46-2963

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