■金売り吉次(きちじ)-義経を手助けした伝説の商人-
本埜地区の行徳新田(ぎょうとくしんでん)にある堤(つつみ)の中に、吉次沼(きちじぬま)があります。この沼の名前にもなっている吉次は、平安時代末期の商人で、「平治物語(へいじものがたり)」「平家物語(へいけものがたり)」「義経記(ぎけいき)」「源平盛衰記(げんぺいせいすいき)」などに登場し、奥州で産出される金を京で商っていたとされ、また、源義経(みなもとのよしつね)が奥州藤原氏を頼って平泉に下るのを手助けしたとされる伝説的な人物です。
「利根川図志」や「印旛郡誌」によると、金売り吉次信高兄弟が、陸奥国(むつのくに)との往来にこの地を通過したところ、隣村の萩原村の荒神左近(あらかみさこん)という強盗によって、吉次兄弟は殺されて貨幣を奪われてしまいました。地元の人は吉次の墓を作り、そこに木を植えて跡を記したということです。そして、宝永(ほうえい)元年(1704)に印旛沼の洪水で堤(つつみ)が切れて墓が押し流され、沼ができ、吉次沼と呼ばれるようになりました。また、隣村の中根村戸崎にある観音堂の十一面観世音は、吉次の守り本尊と呼ばれ、この辺では夏になると怪異現象である龍燈(りゅうとう)(怪火(かいか))が現れ、人々は吉次の怨霊だと思い恐れたそうです。
また、吉次の墓と伝えられている場所は他にもあり、印旛地区でも、この話が少し異なる内容で伝わっていることなどから、奥州の商人が、産出された金を京で取り引きするために各地を往来していたと考えられています。吉次の伝説は、本埜の地が商業地としても栄えていた可能性を示しています。
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