■役所
「役所」とは役人が公務を取り扱う場所のことです。地方公共団体の組織名としては「白井市」が正式名称で、業務を行う場所(事務所)が「白井市役所」です。とはいえ、一般的には「市役所」という通称が組織名のように使われがちです。この慣習はいつ始まったのでしょうか?
役所という言葉は中世、鎌倉時代の「蒙古襲来絵詞」などでは戦陣での将士の詰所を意味し、室町時代には関所の意味でも使われます。近世には遊女の張見世も役所と呼んだそうで、役を務める人の詰所の意で広く使われたようです。
市指定文化財「牧士川上家資料」では領主の家臣を役人、家臣団を役所とします。県指定文化財「小金牧の牧士資料」では江戸幕府の牧担当(野馬方)の幕臣達を役所と呼び、建物を役宅と呼び分けます。正式名称ではないため「野馬方御役所」「小金支配御役所」「金ケ作御役所」と記載は一定しませんが、役所は組織を指すものとしても使用されます。なお、村にいる名主・組頭・百姓代も「役人」と呼びますが、別々の場所にいるので「役所」とは呼びません。
明治維新以降、官軍(明治政府)は参与役所など「役所」の名で各種組織を設置していきます。明治2(1869)年には小金牧の開墾のため開墾役所(後の開墾局)が設置されました。その一方で、近世の各領主の「役所」は「役場」と言い換えていたようです。
明治4(1871)年に戸籍法が制定されると戸籍を管理する戸長が置かれました。
明治6(1873)年になると政府は戸長のいる場所を「戸長ノ役場」「戸長役場」「戸長役所」と呼び始めますが、名称は統一されません。
明治11(1878)年に郡区町村編成法が制定されると郡長が置かれ、戸長の位置付けも変わります。組織体制は明確に定義されませんが、政府は「郡役所」「戸長役場」の呼称を使用します。この頃になると、郡役所や戸長役場の名称を組織名として公文書が出されるようになります。
明治22(1889)年の市制及町村制で戸長は廃止され、市町村は市町村長を置く組織と定義し、場所として市役所や町村役場の呼称が示されます。しかし村々では戦前を通じて「村役場」の名で公文書を出し続けました。
古代の律令体制でも陰陽師(おんようじ)が建物を表す「陰陽寮」を職名としたように、組織名と場所の名称が一体化するのは、日本の伝統的な感覚といえるかもしれません。
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