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広報しばやまはおかげさまで通算600号

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千葉県芝山町

昭和47年、産声をあげ誕生した「広報しばやま」。創刊から52年を迎えた今号で600号を数えることになりました。そこで、これまでの足跡を振り返りながら、制作過程を紹介します。

◆空港と広報紙
建設が閣議決定されてから今年で58年を迎える成田国際空港。この空港建設をめぐり、町中が揺れていた昭和47年6月、広報しばやまは生まれました。当時の手島孝一町長は町の現状を憂い、「町民全員に町の考え、町の状況を正確に伝え、理解してもらうには広報紙しかない」と決断し、記念すべき第1号を創刊しました。
手島町長みずから筆を取り、担当者と一緒になって作り上げた創刊号はB5版の8ページで、活字を組み合わせて版を作る「活版印刷」で印刷されました。
その後しばらくは不定期な発行が続き、緊急な重要案件があれば臨時号も発行されていました。現在のように定期的な発行となったのは昭和52年5月発行の第34号から。その後は毎月休むことなく、町民の皆さんに情報を発信し続けています。

■広報しばやまができるまで
(1)企画・情報収集
町民、関係機関、役場職員の皆さんと協力して取材や記事の計画を立てます。皆さんの協力なくして広報はできません。
(2)取材
広報担当者が様々なイベントや行事などに取材に出向きます。そこで、いい写真が撮れるかで記事の質が変わってくるのでたくさん撮ることを心掛けています。取材現場で出会ったら気軽に声を掛けてください!
(3)編集
広報担当者は一人でカメラマン、ライター、編集者の仕事をしなければいけません。現場で仕入れた情報を元に文章を練り、撮影した写真をどう配置するかレイアウトを考えます。
(4)入稿・校正
編集したものを印刷業者に渡すことを「入稿」、印刷業者が作成した仮刷りを確認して修正することを「校正」といいます。関係機関や役場職員に確認依頼をたくさんします。
(5)印刷・納品
印刷業者で約3200部印刷された後、新聞販売店、福祉作業所、役場に持ち込まれます。
(6)発行
毎月1日に新聞折込みにて発行されます。新聞を取っていない方には、配布希望があった方に個別郵送にてお送りしています。

■広報しばやまの歴史
▽創刊号(昭和47年6月20日)
ページ数:8頁
記念すべき創刊号の名称は「芝山町報」。成田空港の開港を間近に控え、航空機騒音に不安を持つ町民への情報提供や、急ピッチで進む騒音対策事業などの様子を、大きな枠で取り上げていました

▽第105号(昭和58年4月10日)
ページ数:16頁
この号から名称が現在と同じ「広報しばやま」に。見開きで昭和58年度予算について取り上げ、一般会計予算は19億1472万円、町民一人当たりの支出額は23万578円とあります。

▽第333号(平成14年5月1日)
ページ数:26頁
第260号から2色印刷になった広報が、ついにフルカラーになりました。特集として「新世紀飛躍する芝山」と題し、オープン間近の芝山鉄道や第一クリーンセンターを取り上げて、未来に向けて変ぼうしていく芝山町を描き出しました。

▽第388号(平成18年12月1日)
ページ数:40頁
22ページもの紙面で成田空港建設の歴史について特集を組んだ「特集大地と大空」を掲載。今号は全国広報コンクールにおいて1席に入選し、「広報しばやま」の名を全国に押し上げました。

▽第440号(平成23年4月1日)
ページ数:28頁
東日本大震災の直後に発行された今号から、表紙タイトルが変わりました。紙面は中学校卒業式の様子や震災時の町内の被害状況が掲載されました。

▽第542号(令和元年10月11日)
ページ数:2頁
町に甚大な被害をもたらした台風15号の影響により、発行時期および掲載内容を変更して発行された。内容は、町長からのお見舞いのあいさつ、くらし・農業・防災に関する情報、無料相談・休日当番医のみの掲載となった。

▽第548号(令和2年4月1日)
ページ数:36頁
世界的に甚大な被害をもたらした、新型コロナウイルスが流行り始めたころに発行された。今号から長い自粛期間が強いられることになった。この号から、表紙のスタイルが今のものになりました。

▽そして第700号に向かって…
空港建設に町が揺れていた時期、町の状況を的確に町民へ伝えるためにスタートした芝山町の広報紙。これからも創刊時の理念を忘れず、町民の皆さんは何を知りたいのか、何を伝えればいいのか考え試行錯誤し、皆さんに愛される広報を目標に8年4ヵ月後の第700号へ向かって歩いていきます。

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