■長南開拓記(68)~謎の大型横穴墓~
米満横穴墓群の総基数一四〇基のうち、発掘調査が行われたのは、そのうちの一〇基に過ぎません。しかし、その他の横穴墓も現地踏査により、凡その形状や位置などは調べられています。その中に極めて特異な横穴墓が見つかっています。
その特異な横穴墓が発見されたのは、発掘調査地点から、やや東側の支谷です。支群としては発掘調査地点と同じ「第III支群」に属していますが、第III支群は基数が多く、天井の形状も種類が多く、米満横穴墓群の中心的なグループと考えられます。何が特異なのかというと、それはその大きさです。以前に長生地方の横穴墓は他地方の横穴墓と比べて、遺体を葬る玄室が、他地方の横穴墓に比べて大きい特徴がある、と話したことがあります。実際、玄室の一辺が三~四メートルある横穴墓も珍しくはなく、中には五メートルに達しているものもあります。しかし、米満で発見された大型横穴墓は玄室の最大幅が九・九メートルという、破格の大きさであり、これほどの規模の横穴墓は今のところ他に類例を知りません。また、一〇メートル近い幅がありながら、奥行きは三・三メートルと、長生地方での標準的な数値であるため、玄室の平面形は極端な長方形をしています。玄室の中央から、向かって右にやや寄った位置に仕切り壁があり、玄室内を二分しています。床面は土が堆積しており、棺座・棺台の有無は確認できません。天井は前半分がすでに崩落していますが、奥から手前に向かうアーチ形をしていることは確認できます。天井は岩盤を削ってストライプ上の装飾が施されています。また、奥壁に五本、左右の壁に各一本、柱が陽刻で表現されており、陽刻で表現された梁・桁が各柱を繋いでいます。高壇式横穴墓でまちがいないと見られますが、前半分が崩落しているため、羨道や隔壁の形状は確認することができません。そして、注目すべきは「柱」や「梁」、左右の壁の一部に残っていた、赤く塗られていた痕跡です。四千基を越える千葉県の横穴墓でも、明確に彩色が確認されているのは、ここ以外には僅かに一例が知られるのみです。
米満の大型横穴墓。
あまりに大きく、全体が1カットに収まらない。これほどの規模ながら、なぜか昭和42年の上智大学の踏査では見つかっておらず、平成に入ってその存在が確認された。
※写真は本紙をご覧ください
(町資料館 風間俊人)
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