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香取遺産(vol.218)

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千葉県香取市

■仲仁良I(なかにらいち)遺跡の調査
仲仁良1.遺跡は、JR成田線小見川駅から南へ6km、標高43mの台地上に所在する縄文時代、奈良・平安時代、中近世の遺跡です。これまでに3回の発掘調査を行いました。旧山田町新庁舎(現山田支所)の建設工事、旧山田町旧庁舎跡地整備事業と県道山田栗源線交通安全対策事業に伴う調査です。
縄文時代は、落とし穴が見つかりました。住居跡がないので、狩猟の場として利用していたと考えられます。
奈良・平安時代は、竪穴住居跡や掘立柱建物跡が見つかり、7世紀の終わりごろから9世紀の終わりごろまで集落が営まれていたことが分かりました。出土した遺物には、土師器(はじき)に墨で文字を書いた墨書(ぼくしょ)土器があります。その文字は、「来」「二」「山」「上」「満」「成」などです。硯に転用した須恵器(すえき)の破片も出土していることから、読み書きのできる人が集落に居たことが分かります。
集落が7世紀の終わりころに出現することから、律令制(りつりょうせい)が整い新たに開発された集落と考えられます。律令制では公地公民を原則とし、6年ごとの戸籍の更新や班田収授制(はんでんしゅうじゅせい)で税を確保していました。出土した墨書は、戸籍作成に使用した文字だったのかもしれません。
中近世は、溝跡(みぞあと)、柵列(さくれつ)、馬の埋葬土坑(まいそうどこう)が見つかりました。土器などの遺物は少なく、集落が営まれていた痕跡は希薄です。
溝跡と柵列は、東西南北に延び、遺跡を整然と区画しています。柵列は、杭を立てる穴を連ねたものです。上部構造は杭を横木でつないだ柵です。
馬の埋葬土坑は、柵列と重なって5基が見つかり、骨や歯などが出土しました。この柵列は調査範囲の外へ続いており、馬の埋葬土坑はさらに増えそうです。
遺跡からやや離れた北西には、中近世に馬の放牧をした牧(まき)が広がっていました。柵列などの区画は、馬の飼育などと関係する可能性がありそうです。
これまでの調査は、遺跡の一部にとどまっていますが、土地利用の変遷や歴史の一端を考察する手がかりになります。

問合せ:生涯学習課
【電話】50-1224

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