■香取市南部の地形~油田牧(あぶらだまき)と分水嶺(ぶんすいれい)~
香取市の中央部から南部にかけては、下総台地と呼ばれる台地が分布しており、前回の香取遺産でも取り上げたとおり江戸時代には幕府の牧場である油田牧がありました。
牧の範囲は広大な台地を生かしたもので、牧の周囲には谷があります。南部に栗山川水系、北部は小野川水系、東部の一部は黒部川水系の川の源流部があります。栗山川は下総台地に流れる川の中でも最大級の河川で、河口は太平洋にあります。小野川と黒部川は利根川に合流するので、油田牧周辺は太平洋と利根川の分水嶺でもあります。
約12万年前は現在よりも温暖な環境(間氷期(かんぴょうき))で、関東平野の多くが海面下にあり、遠浅の海の底で平坦に土砂が堆積(たいせき)し、下総台地の原地形を形成しました。その後、約10万年をかけて寒冷化が進み、約2万年前が氷期(ひょうき)のピークとなり各大陸に氷河が拡大したことで海面低下が進みました。日本周辺では海水面が約120m低下したとされ、台地は河川や土砂崩れなどによって削られていきました。約12万年のサイクルで何度も繰り返されたため、台地は堆積が進み、河川となりやすいところは繰り返し侵食が進みました。
以上の過程を経て形成された台地は水が集まりやすいところから削られ、比較的水平な台地にいくつもの樹枝状(じゅしじょう)の谷が見られます。このような谷は谷津(やつ)などと呼ばれ、台地から水が集まりやすいため古代より水田(谷津田(やつだ))として活用されてきました。
谷の奥は水田、谷が集まる河川は輸送や移動に重宝され、台地は牧場や畑に、木は薪炭材(しんたんざい)にと、地形を生かした生活がこれまで営まれてきました。また、舟で越えられない分水嶺である油田牧周辺は、現在の県道などの道路が多数あります。木戸(きど)などの小字や古地図などから、古くより多くの道が行き交う場でもあったことがうかがえます。
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