『箒(ほうき)の記念碑と日本一大きな箒』
お正月を迎えるための暮れの煤(すす)はらい(煤とり)や大掃除などは、大切な年中行事の一つです。煤はらいの始まりは平安時代の宮中行事だと言われています。以前は市内でも12月13日に行うのが一般的で、火難(かなん)と関わりのある三隣亡(さんりんぼう)や赤口(しゃっこう)などの日はさけ、餅つきの前にすませれば良いともいわれていました。
煤はらい用の道具は、屋敷地内の竹山から真竹を取ってきて、先の方を三節くらい残して箒のような形にして使いました。また、煤はらい箒と呼ばれる柄の長い箒も作られ、大掃除に箒は欠かせない道具でした。しかし生活様式や住宅の変化、電気やガスを使う暖房器具の普及により掃除の仕方も大きく変わり、掃除道具も電気掃除機が主流となりました。現在では、煤はらい箒どころか、手作りの座敷箒すら手に入りにくくなりました。
ふじみ野市では、座敷箒づくりが盛んでした。市内の座敷箒づくりは、江戸時代の文化文政期(1804~1829年)に上練馬村で修行した大井村市沢(現在の市沢)の内田忠右衛門・留吉兄弟によって、市域に伝えられたといわれています。明治時代から昭和の中頃まで、ふじみ野市周辺は「東京箒」の産地として有名でしたが、現在では市内の箒職人はただ一人になってしまいました。上福岡歴史民俗資料館には日本一の大箒を常設展示しており、市沢公園では箒の記念碑に往時を偲ぶことができます。年末の大掃除とあわせて、見学してみてはいかがでしょう。
大井箒記念碑(市沢公園)
≪ACCESS≫
・市沢2・5・5ほか
・ふじみん号Cコース「市沢三丁目」下車徒歩5分
問合せ:上福岡歴史民俗資料館
(【電話】049・261・6065)
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