『旗本小栗(はたもとおぐり)氏と駒林村の鎮守(ちんじゅ)』
江戸時代前期の17世紀に、旗本小栗氏が駒林村(現在の駒林地区)を領地として江戸幕府から与えられました。旗本とは一万石未満の将軍直属の家臣のことを指します。小栗氏は平氏(へいし)の流れをくむ武士とされ、もとは常陸(ひたち)小栗(茨城県筑西市)を拠点にしていましたが、後に三河(現在の愛知県東部)に移住して松平広忠(まつだいらひろただ)(徳川家康(とくがわいえやす)の父親)に仕えたといいます。江戸時代の記録によれば、小栗氏の初代久勝(ひさかつ)と二代久玄(ひさはる)(平吉)は、家康に仕えたとされ、久玄は寛永3(1626)年の後水尾(ごみずのお)天皇(中宮(ちゅうぐう)は秀忠の娘)が京都二条城に行幸して、大御所徳川秀忠(ひでただ)と三代将軍家光(いえみつ)と対面したときに、将軍に供奉(ぐぶ)したといいます。正確な時期は不明ですが、この時期までに久玄は駒林村に領地200石を与えられたと思われます。その後、小栗氏は三代久弘(ひさひろ)、四代久倫(ひさとも)と続き、現在の埼玉県を中心に合計1200石を領地として与えられましたが、元禄11(1698)年に江戸幕府により他の領地に移されました。
駒林地区には、鎮守八幡神社にまつわる伝承が残されています。駒林村の最初の鎮守は、さぎの森小学校西方の畑の中にある鷺宮(さぎみや)神社(祭神は大己貴命(おおなむちのみこと))でした。
小栗氏が領主になると、武士の守護神である八幡大菩薩(はちまんだいぼさつ)を小栗氏が信仰して八幡神社を創建したところ、村の人々も八幡神社を信仰するようになり、いつの頃からか八幡神社に村の鎮守が移されたというものです。
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駒林八幡神社
[ACCESS]
・駒林890
・上福岡駅東口から徒歩25分、ふじみん号Bコース「さぎの森小学校前」下車すぐ
問合せ:上福岡歴史民俗資料館
(【電話】049・261・6065)
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