■虐待を経験した地域のこども当事者のブローハン聡(さとし)さんに聞く
〔地域がこどもにできること〕
ブローハン聡さん
フィリピン人の母と日本人の父の間に生まれる。4歳から11歳まで、義父による激しい虐待を受ける。虐待発覚後は児童養護施設へ。芸能の仕事や携帯電話販売の仕事を経て、虐待や社会的擁護の当事者活動をしつつ、現在は一般社団法人コンパスナビにて、児童養護施設を出た若者たちの居場所づくりに携わる。
~大人が心豊かに暮らしていればこどもも笑顔になる~
僕はフィリピン人の母と、日本人の父の間に生まれました。実の父はほかに家庭のある人で、母は一人で僕を育てていましたが、4歳の時に新しい父ができました。この人に僕は虐待を受けていて、家庭は常に父親の足音一つに警戒する、不安におびえる場所でした。母が居るときだけは安心でしたが、「仕事に出かける母に置いて行かれるのを自分では変えられないんだ」「それならお母さんにだけは危害を加えられなければいいや」と、4歳にして現実を受け入れたのを覚えています。
小学校に通うようになると、僕のようなハーフやミックスの子が多く、先生もひらがなから丁寧に教えてくれて楽しかったです。僕自身、虐待を生き延びるために、いかに良く思われるかを考えてふるまう力が身についていたのも大きかったと思います。友だちのお母さんも気にかけてくれて、悪いことをした時はきちんと叱ってくれたし、運動会で親が来なくて1人でいる時も、声をかけてお弁当を食べさせてくれました。家庭は不安におびえる場所でも、地域には昭和の温かさが残っていて、そこに居場所があったから、今の自分がいると思います。
僕は現在、児童養護施設を出た若者たちの居場所づくりに関わっています。何をしているかというと、ゲームをしたりご飯を食べたりと、ただ一緒に居るだけ。でも、そういう雑談を重ねて関係性を作ることが、いざという時のSOSにつながるんです。それから、彼らの人生のコントローラーを大人が握らないようにしています。自信を積み重ねる経験が少ないだけで、こどもたちには選択する力が必ずあるのです。未成年で妊娠した女の子の相談に乗ったときは「一緒に情報を集めよう」と、支援団体の人、里親、児童養護施設の人などいろんな人に話を聞きに行きました。その都度、「この人に話を聞くか」「その場に僕は居たほうが良いか」「近くに居たほうが良いのか」「離れてほしいのか」選んでもらいました。最終的な選択も、その子が自分で考えて決めました。
こどもにとっての「社会」とは、自分の家庭や地域など、限られた範囲の世界。そこの大人たちが心豊かに暮らしていれば、こどもたちは自然と希望を持てるようになると思います。もし、こどもが「どうせ」と思っているのなら、その子の家族まるごとケアしていかなきゃいけない。僕の母も地域のサポートがあったら、僕の人生もまったく違ったものになっていただろうと思います。
大人が毎日楽しいと思えることがあって、自分の心にきちんと耳を傾けていれば、その姿をこどもは見ているし、こどもの声も届くようになるはずです。
■居場所は、誰かが用意するものじゃない。一緒に過ごし、つくっていくことで、そこが自分の居場所になっていく。
◇あるお母さんの話
「制服リユースくるくる」で、初めて北本市社会福祉協議会の方と知り合いました。
家庭の事情を説明して、「うちでも対象になりますか?」と話したら「全然なるから!これからご飯用意するの大変でしょ?ちょうどここでこども食堂やってるから行ってください。連絡しておくから」って言われて。そのまま言われたこども食堂に行ったら、とってもきれいなお弁当が用意されていたんです。それがきっかけで、北本市内にフードパントリーやこども食堂がたくさんあることを知りました。
どの居場所の方も、皆さん人柄が素晴らしくて、気さくに声をかけてくださるんです。こどもだけでなく、親の私も一緒に楽しめるイベントを考えてくださるところもあるんですよ。
皆さんのおかげで生活が本当に助かっています。こんなに多くの人が支援してくれるなんて、北本市ってすごいですね。
本特集で紹介した各活動は、全てボランティアまたは非営利で行われています。
活動へのご理解と温かい支援のほど、どうぞよろしくお願いいたします。
だから、私たちは、まってる。
きみを、あなたを、「いつも」「ここで」。
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