■第40回 千光寺と鰐(わに)口
上宗岡の千光寺は、市内きっての古刹といえます。伝えによれば天慶4年(941年)に開基され、その後応徳2年(1085年)に僧善海が中興(ちゅうこう)したとされています。正式には青龍山観音院千光寺。新義真言宗、新座市大和田の普光明寺末寺、ご本尊は不動明王です。
千光寺の有する文化財を紹介します。志木市指定文化財の鰐口があります。鰐口はお堂の軒先に懸けて、鉦(かね)の緒とよばれる太い組ひもで鼓面を打ち鳴らすもので、かつては境内の観音堂にありましたが、現在は屋内に保管されています。周囲に「応永廿五年七月廿八日吉敬白信心大旦那安良国」と刻まれています。応永25年(1418年)に鰐口を奉納したことがわかりますが、残念ながら安良国という人については不明であり、千光寺に納められた経緯も記録はありません。
観音堂の聖観音菩薩坐(ざ)像は鎌倉時代の名仏師、運慶の作とも伝えられてきました。普段は秘仏とされ、33年ごとに開帳されることになっています。平成8年に開帳がありましたので、次は令和11年ということになります。
ほかにも永和元年(1375年)の年号を刻む宝篋印塔(ほうきょういんとう)の残欠があります。永和は室町時代南北朝の北朝の年号で、足利義満将軍の治世(ちせい)で、当時この地が足利幕府の影響下にあったことを物語るものです。これも何人のものかはわかっていません。
明治時代初めに地方制度は変遷がありましたが、実蔵院にあった宗岡学校(宗岡小学校の前身)は、明治19年4月から宗岡村・水子村連合の曙学校となって千光寺が本校となり、連合の解消後明治23年3月から27年3月まで宗岡学校の本校がおかれました。
千光寺は古い文化財に恵まれています。静かな落ち着いた雰囲気の境内を訪れるのも一興と思います。
<この記事についてアンケートにご協力ください。>