◆104 市史のささやきvol.16
今回は、「市場之祭文(いちばのさいもん)」について紹介します。中世や近世の頃には、河川や道路が次第に整備され、町場や宿(しゅく)が形成されるようになります。町場や宿では、定期的に市(いち)が開かれるようになり、商品の購入や交換などの交易が盛んになります。
江戸時代の粕壁(かすかべ)宿では、毎月4・9・14・19・24・29日の4と9の日に、月6回の市(六斎市(ろくさいいち))が開催されました。
「市場之祭文」は、こうした定期市が開かれる際に、市の神様の前で読み上げられ、市の繁盛と安寧(あんねい)を願う祈願文の一種と考えられています。
本文には、最初に、天竺(てんじく)(インド)、唐土(もろこし)(中国)、日本の各地の市とその功徳(くどく)が記され、その後に武蔵(むさし)国東部から下総(しもうさ)国西部にかけて33カ所の市が列記されています。
市の一つに、「下総州春日部郷市祭成之(かすかべごういちまつりこれなり)」とあり、春日部郷がその当時下総国であったことが分かります。
その他市域周辺で、さいたま市岩槻区や白岡市、宮代町などに推定される市があったことが分かります。
本文には「延文(えんぶん)6年(1361年)に記載、その後応永(おうえい)22年(1415年)に転写した」とあります。
しかしながら、各地の市の所在地は、戦国時代の岩付太田(いわつきおおた)氏の勢力圏と重なり、水陸交通の発達と関わりの深い河川沿いに所在していたと推定されます。
このため、市祭を開催する中で、順次書き継がれ、市として形成されていった室町時代末から戦国時代の頃の市であると考えられています。
『春日部市史古代・中世資料編』(305~308頁)や、『新編図録春日部の歴史』(60~61頁)、春日部市史通史編I』(356~360頁)などにも掲載されています。ぜひご覧になってください。
○「市場之祭文」に記載される春日部周辺の市場
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