■埼玉県指定文化財(さいたまけんしていぶんかざい) 吉ヶ谷遺跡竪穴住居跡出土品(よしがやついせきたてあなじゅうきょあとしゅつどひん)
大昔(おおむかし)の人々(ひとびと)が使(つか)った容器(ようき)である土器(どき)は、作(つく)られた時代(じだい)や場所(ばしょ)によって異(こと)なっていて、形(かたち)や文様(もんよう)に独自(どくじ)の特徴(とくちょう)があります。「このような形や文様で作らなければならない」という地域(ちいき)での約束事(やくそくごと)があったのです。
考古学者(こうこがくしゃ)は出土した土器を観察(かんさつ)し、同(おな)じような形や文様を持(も)つ土器をグループ分(わ)けしてきました。こうしてグループ分けされた土器のまとまりを型式(けいしき)といいます。型式には、それらの土器が初(はじ)めに発見(はっけん)された遺跡(いせき)の名前(なまえ)が付けられ「○○式土器(しきどき)」と呼ばれるようになります。名前の元(もと)となった遺跡は標式遺跡(ひょうしきいせき)といいます。
吉ヶ谷式土器(よしがやつしきどき)は、吉ヶ谷遺跡(大谷(おおや))を標式遺跡とします。弥生(やよい)時代後期(こうき)の土器で、比企(ひき)を中心(ちゅうしん)とした埼玉県の北西部(ほくせいぶ)の地域で使われていました。目(め)の粗(あら)い縄文(じょうもん)の文様を付つけ(施文(せもん))、土器を作る時の粘土(ねんど)の継(つ)ぎ目(輪積痕(わづみこん))を残(のこ)しているのが特徴です。煮炊(にた)き用(よう)の甕(かめ)、穀物(こくもつ)を保存(ほぞん)するための壺(つぼ)、盛(も)り付(つ)け用の高坏(たかつき、取(と)り分け用の鉢(はち)のなどの器(うつわ)の種類(しゅるい)(器種(きしゅ))があります。
※写真等は、本紙28ページをご覧ください。
問合せ:埋蔵文化財(まいぞうぶんかざい)センター
【電話】27–0333【FAX】27–0334
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