■掘ってわかった!縄文時代の上日出谷
桶川市は遺跡が多い土地で、現在分かっているだけでも184か所確認されています。この中には、都市開発の際に初めて見つかった遺跡も含まれているため、今後新たに遺跡が発見されるかもしれません。
令和5年度は、宅地開発に先立って、上日出谷南3丁目地内で発掘調査を実施しました。その成果の一部をご紹介します。
◇令和5年度殿山南遺跡の発掘調査
発掘調査を実施した殿山南(とのやまみなみ)遺跡は、上日出谷地域北部一帯に広がる、縄文時代・奈良時代・平安時代の遺跡です。調査対象地は日出谷小学校の北側にあたる場所で、元々は山林でした。地形的には、江川につながる小さい谷をのぞむ舌状台地(ぜつじょうだいち)(舌の形のように低地に突き出した台地)上に位置します。調査の結果、縄文時代前期から中期(約6000年前から5000年前)の竪穴建物跡(たてあなたてものあと)や土器・石器などが見つかりました。
◇調査成果
調査対象地の北西側で見つかった縄文時代前期の竪穴建物跡は、5軒重なっていました(図1)。
これは5軒が建っていた時期に、わずかに時間差があったことを示しています。
中央部で見つかった縄文時代前期の竪穴建物跡からは、大型の土器片が多数見つかりました(図2・3)。
南東側の縄文時代中期の竪穴建物跡では、約180点もの大型の石や石器などがぎっしりと詰め込まれた土ど坑こう(穴)が見つかりました(図4)。このような遺構は「集石土坑(しゅうせきどこう)」とよばれ、同時期の関東地方西部でしばしばみられます。集石土坑から出土する石の大半は焼けて赤く変色していることから、蒸し焼き調理の場であったと考えられていますが、殿山南遺跡の集石土坑から見つかった石は全く焼けていません。そして、ただの石だけではなく、打製石斧(だせいせきふ)(土掘り具)や磨製石斧(ませいせきふ)(木を切るための道具)、割れた磨石(すりいし)・石皿(いしざら)(木の実を粉にする道具)も出土しているほか、土坑の底に近いところで半分に割られた文様の無い土器が見つかっていて、関東地方西部で見つかる集石土坑とは様子が異なります。この違いについて、今後研究を進めたいと思います。
今回の調査により、縄文時代の上日出谷の人々の暮らしの一端が見えてきました。今後は、遺跡から出土した土器を修復したり、得られた情報をまとめたりする整理作業を行います。それを経た後、歴史民俗資料館や講座などで市民の皆さんに調査成果をご紹介する予定です。
※図は本紙をご確認ください。
問合せ:文化財課
【電話】786-4009
<この記事についてアンケートにご協力ください。>