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行田歴史系譜360

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埼玉県行田市

■資料がかたる行田の歴史60
▽北埼を駆けた競走馬
郷土博物館が保管する小川家文書には、近代の競馬に関する資料が多数含まれています。小川家は大正から昭和にかけて足袋原料問屋を営んでいましたが、店の創始者である小川忠次郎は本業のかたわら競走馬の馬主もしていました。今回は、そんな小川家の競馬関係資料から「北埼玉郡大競馬会二日目組番」を紹介します。
本資料は昭和23年(1948)3月14日に須影村(現・羽生市)で開催された競馬会の組番(レース表)です。当時はまだ農業や運輸に馬を使うことも多く、馬を飼っている家は珍しくありませんでした。そのため、寺社の祭礼に伴うものや民間の愛好家によるものなど、草競馬(馬券を発行せずに行う競馬)が身近なところで盛んに行われていたのです。行田市域でも、農業機械が急速に普及する昭和30年代ごろまでは、馬による農作業が行われていました。
本資料を詳しく見てみると、出走馬の名前、年齢、毛色、住所、そして馬主の氏名が書かれています。現代の競馬では出馬表に騎手の名前も書かれていることが多いですが、本資料に騎手の名前は見えません。出走馬の住所は主に埼玉県北部から東部地域で、会場となった羽生はもちろん、近隣の加須や行田からも特に多くの馬が集まっていたことが分かります。現在の行田市域に当たる町村からの出走馬数を見てみると、須加村、北河原村、南河原村からそれぞれ1頭ずつ、荒木村から2頭、忍町から5頭、太田村から8頭となっています。太田村は村域も広く、馬を飼う家が多かったのかもしれません。馬の名前を見てみると、須加村の「はんどう」、南河原村の「シン一(いち)」、荒木村の「ケンカブト」、忍町の「第三曙(あけぼの)」など、ひらがな・カタカナ・漢字が混在しています。現代の競走馬が馬名登録をする場合、カタカナ2文字以上9文字以内かつアルファベット18文字以内など細かな規則が設けられていますが、本資料に出てくる出走馬は草競馬の馬であるためか、自由に名付けられていたようです。行田で暮らした馬たちは、どんなレースを繰り広げたのでしょうか。
(郷土博物館 岡本夏実)

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