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行田歴史系譜364

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埼玉県行田市

■資料がかたる行田の歴史64
▽古代の「ハンコ」〜東京国立博物館所蔵資料から〜
「ハンコ」は、今でも日常的に皆さんが使うなじみ深いものでしょう。実印、銀行印、認印などがあり、契約書や証明書、申請書などに押印して、本人が作成したことを証明するものとして使われています。日本では奈良時代に中国から伝わり、律令制の中で位置付けられて、有力豪族が文書に押印して使われるようになります。今回は本市で発見された「ハンコ」のルーツといえる銅印について紹介します。
昭和26(1951)年、行田市埼玉の畑から銅印1つが採集されました。当時、全国にまだ博物館がほとんどなかったこともあり、現在の東京国立博物館に収蔵されることになりました。この銅印は残存高約3センチメートル、印面の大きさは一辺3・3センチメートルで、左上辺がわずかに欠けています。ハンコを手でつかむ紐(ちゅう)の部分は、扇形や花の蕾のような形をしているものが多いですが、この銅印は紐の先端が欠けており、紐の形は分かりません。印面には4字が見えますが、「矢作(やはぎ)□印(いん)」の3字を読むことができます。3文字目は、漢字を崩して表現しているため、判読できていません。
古代の銅印は全国で数多く発見されています。印面の文字数には1字、2字、4字があり、4字で構成されている銅印が多く見られます。これまでの研究によると、文字の意味は人名を表すことが多く、この銅印の最後の文字は「印」となっていますので、おそらく「矢作」は人名を表しており、その人物の「印」ということになるでしょう。
「矢作」は、古代の文献に出てくる矢を作る職業の集団である「矢作部(やはぎべ)」との関連性をうかがわせます。しかしながら、その集団が埼玉(さきたま)の地で暮らしていたかどうかの確証は得られていません。また、銅印が発見された畑付近での調査事例がないため、銅印が製作された時期や存在した意味を推し量ることは難しくなっています。今後、発見場所周辺の遺跡の全体像が見えてくれば、銅印の性格も解明できるかもしれません。
(郷土博物館 篠田泰輔)

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