■[第三十三回]白石照山
白石照山(しらいししょうざん)は文化12年に中津藩士・久保田武右衛門(くぼたたけうえもん)の長男として生まれました。のちに同じく中津藩士・白石團右衛門(しらいしだんうえもん)の養子となり、野本白巌(のもとはくがん)のもとで学びました。天保9年、江戸に留学に出て古賀侗庵(どうあん)のもとで学び、翌年、昌平黌(しょうへいこう)に入学しました。学術優秀であった白石は、野田笛浦(てきほ)をはじめとする名家にも通い、天保14年に帰国しました。中津で私塾・晩香堂を開き多くの門下生を教え、福澤諭吉も白石に学びました。
しかし安政元年、下士に城の番役を命じたことによって起きた御固番事件(おかためばんじけん)により、中津藩追放の憂き目にあいます。その後臼杵藩に儒者として受け入れられましたが、藩校の学頭などを命じられるほどの好待遇でした。また、臼杵藩に勤めている際、藩に福澤家の蔵書購入を斡旋して金策に困る福澤を助けました。現在も福澤家蔵書は伝わっています。明治2年には中津に戻り、藩校・進脩館の教授となりました。明治16年69歳で病没しました。
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