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ふるさとの文化財探訪 第120回

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大分県九重町

『左之策未完の遺作』

文化財調査委員 梅木 恵美

九重町にはたくさんのお寺や神社がありますが、各家に親先祖から代々お世話になっている頼み寺や氏神様があると思います。
松木川上に、宝円寺があります。私の実家の頼み寺で、幼いころから法事では宝円寺のごいんげさんがお経をあげてくださいました。神社と違い、お寺に行き、本堂の中に入る機会はそんなに多くありません。桜がまだ残っている宝円寺を訪れ、内部を見せて頂きました。町指定文化財ではありませんが、本堂は前回掲載した小倉神社と同じく、佐藤左之策の建築です。
お寺に保管されている過去帳によると、慶応二年(1866)本堂材木出し男女群衆ス、と記録があります。今から158年前の切株が宝山に残されている、と言い伝えがあるそうです。桁行3間、梁間7間、入母屋造りの屋根は昭和12年に茅葺きから瓦葺へ、平成3年に瓦葺からステンレス葺に改修しました。平成13年に基礎部分をコンクリートと金物で補強したことと屋根の軽量化で、先の熊本地震の被害を防げたのかもしれません。
さて、本堂を正面から見てまず目に入るのは、生き生きとした水流と鯉の透かし彫り欄間。その上の通肘木間には、波と兎がいます。兎年の私としてはちょっとうれしい。なぜに「波と兎」?波は水なので火防・火除けの守りとされ、月の精である兎は子孫繁栄や豊穣をもたらすめでたい瑞獣とされました。「波と兎」は倉の鏝絵(こてえ)や古伊万里・着物・家紋の文様などにも見られ、波と千鳥、雲と龍など組み合わせの決まった図柄は、人々に広く好まれて、様々な場面に用いられてきたように「波と兎」もそのひとつであるそうです。
本堂内部に入ると広々とした外陣(お参りするところ)と、内陣(ご本尊のあるところ)、内陣左右の脇陣と間取りが分かれています。よくよく見ると、鮮やかに彩色された部分と、そうでない部分があります。また、欄間などの彫刻も左右非対称であり、未完成です。「九重町の建造物」によると、経費不足で欠損していると書かれていますが、建設を始めてからわずか三年後に佐藤左之策は没しているため最後の作品と言われています。費用の問題ではなく、体調の問題で、完成せず生涯を終えたのかもしれません。材料は総欅造、天井板や建具など、折上格天井幅広の一枚欅板などふんだんに木材が使用されています。彫刻などの装飾に、波や龍、鯉など水にまつわるものが多いのは、先人たちが材料と人手を供出し協力して作り上げた、この様な素晴らしい建物を後世に残すため、火災を防ぐため火除けの守りとして願いを込めたのでしょうか。
左之策の頭の中には、完成形がイメージされていたでしょうが、その姿を見ることが叶わずこの世を去ったのは、さぞ残念だったことでしょう。

参考文献:九重町の建造物(九重町教育委員会)九重町文化財調査報告書第28輯

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