『遊び』の文化継承の必要性
文化財調査委員 佐藤頼久
昔、我が集落(滝上)でも子沢山で、すぐ十人位の遊び仲間ができて、鬼ごっこやかくれんぼ、缶けり、「あの子が欲しい」や「うしろの正面だ~れ」、おはじきを使った陣取りやゴム飛び、そして茅を使って刀を作りチャンバラごっこをしたり、大きな縄跳びで交互に入ったり、遊具がなくても飛んだり跳ねたりできた。ビー玉を使った三角出しや有名俳優や相撲取りの絵の入ったパッチンでその奪い合いをした。
学校の行き帰りにサッカーボールを蹴ったり、桶に使う竹ノ輪(●・たが)を二又の棒でころがし歩いたりした。学校内の友達とは、ソフトボールやドッジボール、休憩時間にはSという大きなエス字を地面に書き、片足けんけんで相手と対戦し、両足を土についた方が負けという遊びは特に印象に残っている。又、特大の釘をお互い持って来て釘打ちをしてだんだんせまくなった所を通り抜ける技術のいる遊びもした。公民館で衝立を立て両軍に分かれて豆鉄砲を打ち合ったのも強烈に心象に刻まれている。我が家では五人兄弟で男三人だったので畳の上のプロレスごっこで、四の字固めやコブラツイスト等の技の掛け合いをしたり、田圃に藁で土俵を作り相撲を楽しんだり、体力をつけるのに役立った。車のおもちゃで速さを競うF1競争をして畳をボロボロにした。
冬には、雪が沢山降っていたので家の坪の雪を踏み固めスケートリンクを創ってすべった。坂道では橇に乗って何度も滑った。又、雪上ボクシングで顔はなしで打ち合い汗を流した。知的遊びでは、将棋で勝ち負けにこだわり負けると何度も挑戦し悔しい思いを繰り返した。特に大学時は囲碁にはまり夏休み中十番二十番と打った。
かつて砂場で人生の全てを教わったという本があったが、田舎では、山や道路そして野原の大自然の中で思う存分走り回り、時間が止まっていたかのようにその刹那を楽しみ、最高の幸せの瞬間を味わい尽くした。遊びを通じて、上下の人間関係を学び、全てに各々守るべきルールがあり、遵法精神も身につけられ、社会に出ても幼い頃のそれが活かされたものと思う。
※「たが」の漢字は環境依存文字のため、●に置き換えています。正式表記は本紙をご覧ください。
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