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咸宜園教育研究センターだより

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大分県日田市

「咸宜園教育研究センター・世界遺産推進室」では、咸宜園や廣瀬淡窓、門下生等に関する調査研究を行っています。研究成果は、関連資料の展示や研究紀要を刊行するなどして公開しています。また、「近世日本の教育遺産群」の世界文化遺産登録に向けて取り組んでおり、各種公開講座を実施しています。

■「咸宜園門下生・大村益次郎生誕200年」
咸宜園門下生の内で最も著名な大村益次郎(ますじろう)(1825-1869年)の生誕200年祭が4月21日(日)に行われました。益次郎は、周防国(現在の山口県)出身で、天保14(1843)年4月に「村田宗太郎」の名で咸宜園に入門しました。
咸宜園では1年余りの在塾でしたが、入塾から1年経たない翌年3月の月旦評(成績表)で「権四級上」に達しており、抜群に早い昇級でした。卒塾後は、緒方洪庵(こうあん)の適塾に学び、塾頭を務めます。その後、帰郷して医者となりますが、宇和島藩に出仕し、西洋兵学や蘭学の教授となったほか、幕府講武所の教授となります。
文久3(1863)年に帰国し、その後、長州の対幕府戦で活躍します。戊辰戦争では勝利の立役者となり、明治維新で活躍した「維新10傑」にも選ばれました。
咸宜園教育研究センターでは、大村益次郎生誕200年を記念し、コーナー展示を行っていますので、是非お越しください。

■豆知識 大村益次郎と日田の関係
咸宜園では、塾主・淡窓や他の塾生らとの夜会に参加し、餅つきや塾での年越し、新年の大原八幡宮参詣、塾の新年会にも出席しています。また、在塾中に玖珠へ向かい、その帰途に天ヶ瀬温泉に立ち寄り、七言絶句を二首(天瀬雑詠二首)詠んでいます。
なお、弘化3(1846)年3月に咸宜園に入門した藤村新市郎(文恭)は、益次郎の弟です。

■咸宜園を世界遺産に!
▽咸宜園教育研究センター・世界遺産推進室(入館無料)
淡窓2丁目2番18号
【電話】22-0268
開館時間:午前9時~午後5時 水曜日休館

▽史跡咸宜園跡
受付時間:午前10時~午後4時

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