■城原街道の「おとりば」
城原(きばる)地区のバス停留所の、地蔵原(じぞうばる)と城原八幡社の中程に「おとりば」と言う地名がある。
元々は「鳥居場」が訛った(標準的な言い方を地方独特の言い方にする)ものである。それに敬語の「御」をつけたものである。そこには道路の左右に、「かまぼこ石」で囲まれた場所があり、今はその中に榊(さかき)の木と、幹まわりが3メートル強の大きな檜が植わっている。しかし元々は、城原八幡社の大きな「鳥居」が立っていたのである。石と石との間は8メートル強もある。
なお、城原八幡社の馬場の幅も8メートルである。
まだ車も通らない頃に、これ程の広い道がありこんな大きな鳥居が立っていたとは。「城原八幡社は大したものだ」と感服する次第である。鳥居が普通の土地と、神域とを区別するものとするならば、城原八幡社の神域はここまであったことになり、城原八幡社のすごさが感じられる。ちなみに城原八幡社の大祭の時は、獅子舞いはここまで下ってくる。
城原八幡社は、「岡の総鎮守」(岡は岡藩、鎮守はその地を鎮(おさ)める神)といわれ、岡藩(旧竹田市のほとんどが含まれるが、南部の方は除く)の神社の総元締(もとじめ)にあたる神社である。
なお、城原八幡社の神官(宮司)は「日野」と言われ京都から招聘(しょうへい)(礼をつくして人を招きよぶこと)されている。日野家は京都では、名家のひとつである。こんな立派な神社だから、こんなに大きく立派な鳥居があっても、決して不思議でなことではないと思われる。
(城原歴史探訪の会 会長 麻生敞)
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