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特集1 祝 六郷山が国の史跡に指定されます

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大分県豊後高田市

6月24日(月)、国の文化審議会は文部科学大臣に対して、「国東半島にある天台宗寺院や岩屋の総称で、古代から中世の信仰の在り方を理解する上で重要である」として「六郷山(ろくごうさん)」を国の史跡に指定するよう答申がありました。
今後の官報告示を経て正式に指定されると、「熊野磨崖仏附(つけたり)元宮磨崖仏及び鍋山磨崖仏」、「富貴寺境内」に続いて、本市3件目の国指定史跡となる予定です。

■国史跡の指定の範囲
今回の指定の範囲は、山の寺で六郷山の中核寺院である「長安寺」、中世の石造物がある「岩戸寺」(国東市)、谷の寺で江戸末期建立の講堂などがある「天念寺」や中世墓地のある「夷岩屋」の各境内です。

■六郷山とは
六郷山は、国東半島の6つの郷(来縄・伊美・田染・国東・武蔵・安岐)に点在する天台宗寺院群のことで、六郷山の始まりは養老(ようろう)2年(718年)に八幡神が姿を変えた仁聞菩薩によって、国東半島に寺院が開かれたと伝えられています。
現在は六郷満山という呼び名が知られていますが、これは近代になって使われ始めた言葉で、少なくとも12世紀初頭には、六郷山という呼称があったと古文書の資料から分かっています。
六郷山は惣山(そうざん)を中核寺院として、本山(もとやま)・中山(なかやま)・末山(すえやま)という三山のグループに編成されます。
本山は教育や教義研究の機関となり、中山が修行機関、末山が在家布教と位置づけ、一つの集合体として組織されています。
各寺院が所在する山や谷では、その地形にあわせて伽藍等が展開し、各寺院が統括する坊が集落を形成し、坊集落と言われるような、村が一つの寺院として存在していました。

■長安寺
長安寺境内は、豊後高田市の東部、加礼川地区(都甲)にある屋山の中腹に所在します。長安寺は中世の頃には、「惣山」として六郷山全体を統括していた寺院です。
六郷山の中でも山の寺の代表で、鳥居から六所神社までの約400mのまっすぐ伸びた参道が特徴的で、講堂跡、本堂、各坊跡などが参道脇に展開しています。
寺宝で重要文化財の木造太郎天及び二童子立像や、銅板法華経附銅筥板(どうばんほけきょうつけたりどうはこばん)は、ともに12世紀前半のもので、平安時代に隆盛した様子がうかがえます。

■天念寺
天念寺天念寺境内は豊後高田市の東部、長安寺の北側の長岩屋地区の谷に沿って所在します。天念寺は中世の頃には「長岩屋」と呼ばれていた寺院です。
谷の寺の代表である天念寺は、古くは長岩屋と呼ばれ、伽藍の中心は、現在修正鬼会が行われる講堂で、隣の身濯(みそそぎ)神社とあわせて、横長の大きな岩屋の中に配置されています。
講堂の前の長岩屋川に沿って坊跡が点在しており、比較的古い石造物が残っている円重坊跡の五輪塔群、大満坊跡の五輪塔群も指定の対象となりました。

■夷岩屋
夷岩屋の境内地は、豊後高田市の北東部、夷地区に所在し、古代から中世にかけて「夷岩屋」と呼ばれ、現在の霊仙寺・実相院・六所神社の周辺となります。
六所神社境内の岩屋には、江戸時代まで平安仏が祀られていたとされ、また、本殿の周辺には、明治初頭までは講堂があったとされています。
境内地の前を流れる竹田川沿いには、点々と坊跡や末寺の跡があります。対面には兄弟割石を境界にして、中世~近世にかけての霊仙寺の墓地が広がっています。

問合せ:文化財室
【電話】53-5112

■ケーブルテレビ「六郷山」国の史跡指定特別番組(視聴者プレゼントクイズつき)
日本BS放送のご協力をいただき、平成30年にBS11で放送された「大分国東半島六郷満山1300年謎の神様八幡神と六郷の寺々」の再放送をケーブルテレビで行います。
放送日:
(1)謎の神様八幡神と六郷の寺々8月13日(火)・20日(火)
(2)学問の山から修行の山へ8月14日(水)・21日(水)
(3)里人と生きる神と仏8月15日(木)・22日(木)
放送時間:各回ともに、9:00~、17:00~、22:00~
※各回ともに、六郷山の紹介の後に、上記番組を放送します。

▽番組の最後にプレゼントクイズ!
抽選で10名様に「日本遺産くにさきクリアカバー付きオリジナル御朱印帳」をプレゼントします。
※応募方法は番組でお知らせします。

問合せ:企画情報課
【電話】25-6393

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