大阪市の都市景観資源に登録されている白山神社について宮司の川井邦彦(かわいくにひこ)さんにお話を伺いました
■白山神社の歴史
◇祭神は縁結びの女神
閑静な住宅街のなかに佇む白山神社。石川県白山市三宮町(さんのみやまち)にある白山比咩神社(しらやまひめじんじゃ)を本宮とする全国に3,000社近くある神社の一つで、創建年月は不詳ですが、室町時代の応永年間(1394-1428)の頃までは中浜・鴫野・森の諸村(しょそん)の氏神でした。また、明治5(1872)年までは白山権現(ごんげん)と称し親しまれていました。
そして、祭神の白山比咩神(しらやまひめのかみ)(またの名を菊理媛神(くくりひめのかみ))は縁結びの神といわれています。「日本書紀にも登場する女神です。イザナギとイザナミが黄泉比良坂(よもつひらさか)で言い争ったときに仲裁したことから、あらゆる人の仲を取りもつ神とされました」と、川井さんから教えていただきました。また、名前にある“くくり”から縁と縁を結ぶとされ、人との縁をはじめ、さまざまな良縁を祈願しに多くの参拝者が訪れるそうです。
◇戦国時代の白山神社
歴史の舞台にも登場する白山神社。天正4(1576)年に織田信長と石山本願寺との交戦(石山合戦)で社殿を焼失しますが、慶長8(1603)年に豊臣秀頼(とよとみひでより)により再建されます。慶長19(1614)年の大坂冬の陣では、徳川軍の本多忠朝(ほんだただとも)が本陣を置きます。そのときに、境内にあるイチョウに登り、大坂城の戦況を偵察していたと伝わっています。
「お隣の正圓寺(しょうえんじ)の寺嶋(てらしま)住職さんにお聞きした話ですが、石山合戦の際には、本願寺に縁の深い寺からの食料などを近くの川を使い運んだそうです」と、歴史の一面を話す川井さん。大坂冬の陣では、兵火(へいか)により再び焼失しますが再建され、その後も改築・修繕が繰り返され現在に至っています。
■ここも注目ポイント!
◇彫刻師・森丹渓(もりたんけい)の彫刻飾り
拝殿正面上の部分には、鳳凰の彫刻装飾があります。
昭和2(1927)年8月に拝殿を改築した際、社寺や木像の彫刻等で名高い彫刻師・森丹渓が手がけたものです。細部までこだわった彫りは躍動感を感じさせます。
森丹渓とは…明治8(1875)年に滋賀県米原市上丹生(かみにゅう)で森光次郎(もりみつじろう)として生誕、昭和22(1947)年1月22日没。享年73歳。彫刻師「森丹渓(初代)」として、社寺、山車(だし)などの彫刻を手がけています。代表的な作品に豊川稲荷の彫刻があります。
氏子(うじこ)による奉上棟板(ほうじょうむないた)。
裏には「彫刻士森丹渓」の名が記されています
◇村相撲の番付表
現在の古市2丁目にかつて大阪大国技館があった影響か、白山神社に村相撲の番付表が残されています。番付表には、地域の方のご先祖の名前が記されており、白山神社界隈でも村相撲が盛んに行われていたことが伝わってきます。
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