■「石村洞(ソクチョンドン)古墳群と茶臼塚古墳」
昨年12月に韓国ソウルの漢城百済(ハンソンペクチェ)博物館を訪問した際に、同館が調査を継続している石村洞古墳群を案内していただき、最近の調査成果についても詳しい説明を受けました。この古墳群は、百済(くだら)の初期の王墓を含んでいると考えられ、王墓とみられる古墳は方形で階段状の墳丘をもつ積石塚(つみいしづか)です。古墳は土を盛って築かれるのが普通ですが、積石塚は石を積み上げて築かれています。百済の北の高句麗(こうくり)で広くみられる古墳の形態で、初期の百済の王墓は、高句麗の影響が強かったようです。
石村洞古墳群は、以前から注目していた古墳群です。その理由は、この積石塚とよく似た古墳が柏原市内にあるからです。それは、国分市場の茶臼塚古墳です。茶臼塚古墳の墳丘は大量の石を積み上げて築かれており、積石塚とされています。墳丘は垂直に石を積み上げて2段の階段状になり、前期古墳としては日本で唯一の墳丘形態です。その古墳とよく似た古墳が百済の石村洞古墳群にあるのです。もしかして、茶臼塚古墳は百済と何らかの関係があるのではないか?と考えています。
ただし、問題も残っています。茶臼塚古墳の年代は4世紀前半ですが、石村洞古墳群の造営開始が4世紀前半まで遡(さかのぼ)るかどうか。石村洞古墳群は、今後も調査を継続されるようなので、いつか柏原市との関係が明らかになるかもしれません。漢城百済博物館との交流を進めるなかで、この点についても研究を深めたいと思っています。
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