~「懐かしい!」と盛り上がるみなさん。話題は昭和から平成へ~
○人口も建物も増えた平成の始まり
井之本:私が小学生のころは武道館に書初めが展示されていました。母とバスに乗って見に行った記憶があります。
江口:その横には図書館もありましたよね。小さい子が遊べるスペースがあったので子どもを遊ばせていました。市民会館では母が踊りの発表をしていました。今のキックスのステージと比べて狭かったように思います。
井之本:自治会や子ども会が開催している地蔵盆では、子どもと河内音頭を踊ったり、秋祭りでは参加者にふるまうお弁当を作ったりと思い出がいっぱいです。
江口:子どもが剣道を習っていて、その関係で大楠公武者行列に参加したこともあります。本格的でしたよ。今のラブリーホールから駅前までを練り歩きました。
子ども会を手伝っている時は、滝畑レイクパークに行って遊んで、青少年活動センターで宿泊して、夕月橋の下でキャンプファイヤーをしたりと楽しい思い出です。
西野:滝畑には私もよく子どもと川遊びに訪れました。元々大阪市在住でこちらへやってきたのですが、自然の中でのびのび子育てできてよかったと思っています。
現在は人口も減って落ち着いていますが、この時は子どもさんも多く、小学校のクラスも6クラスほどあったのではないでしょうか。通勤も難波方面の電車はいつも満員でしたね。
井之本:昭和の終わりごろから平成の始めにかけて児童数が増えました。美加の台小学校に赴任した時は、1クラス15人ほどが翌年には40人くらいになりました。
○電話の発展と、便利に変わっていく世の中
井之本:小学生のころは家に電話がなくて、どうしても必要な時は地域にあった農協に行って電話を借りていました。その後うちの地区でも有線放送電話が始まって、今はスマホで買い物もできる時代になったことに驚かされます。
江口:ダイヤル式の黒電話が家にあったのですが、0という数字を回すのが面倒で、かけ間違いもよくしました。
西野:昔は駅とかタバコ屋さんとか公衆電話のあるところで待ち合わせをしていました。イベントなどに参加するとテレホンカードをもらうことも多かったです。
江口:友だちからの電話は家にくるので、難波や長野商店街に遊びに行くなど、行動が親には筒抜けでしたね。
長野商店街には洋服の仕立て屋さんがあって、母がよく利用していました。市場やお風呂屋さんがあって活気がありましたね。千代田にも商店街があってそこで買い物をすることも。千代田台にもお米屋さんなど数件の商店が並んでいて夏場には金魚すくいなど縁日がありました。当時の活気が、今の河内長野にまた戻ってきたらうれしいですね。
○誇れる自然を大切に、人で賑わうまちへ
西野:河内長野には誇れる自然があります。自然を大切にして、また、国宝やお寺などの観光資源もたくさんあるので、交通手段や宿泊する場所などハード面を充実してほしいです。たくさんの市外の人に来てもらいたいですね。
江口:滝畑が大好きです。自然が豊かで滝もあり癒されます。そこにお住まいの人との何気ない会話をするのも楽しみです。滝畑のレストランではコロッケ定食がおすすめですよ。滝畑や自然の良さをもっと知ってもらえるように広めていけたらと思います。
井之本:私は四季折々表情を変えながら静かに佇(たたず)む寺ケ池公園が好きです。美加の台の桜も好きで、昔はワラビやゼンマイ、レンゲソウなどの野草がたくさんありましたが、今はあまり見かけません。どんどん生活が便利になるにつれて、あまりのんびりとした生活ができなくなっているように感じます。自然と上手に共存しながら、多くの人で賑わうまちになってほしいですね。
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