文字サイズ
自治体の皆さまへ

歴史民俗 ふるさと探訪(60)

19/23

宮城県丸森町

■昔は養蚕の豊穣を願い今では合格祈願にもご利益が!蓑毛(みのけ)の不動堂(耕野)
国道349号で伊達市梁川方面に向かい、県境の手前から耕野の茗荷に入ると間もなく鳥居が見え、その奥に二間四面の不動堂があります。言い伝えによると、平安時代、天台宗の高祖・慈覚大師円仁(じかくだいしえんにん)が伊達の霊山の奥の院として、開創したものといわれています。また明治はじめ、千葉県の成田山新勝寺(なりたさんしんしょうじ)の不動明王の分霊を祀(まつ)ったものともいわれています。
本尊は一尺八寸の木仏立像ですが、お堂の後ろには数十尺の大岩があり、この大岩が信仰の対象となったものと思います。昔は、境内には大木が生い茂り、昼でも暗く「身の毛もよだつ」ところから「蓑毛の不動堂」と名称がついたといわれています。
不動堂は、火炎につつまれ、右手に宝剣、左手に羂索(けんさく)を持ち、童子形の憤怒の姿が一般的で、五大明王の中で中心をなす明王とされ、憤怒の中に慈悲をあらわす仏で、大日如来の化身ともいわれています。
藩政時代の記録を読むと、町内では修験寺院21か院と真言宗寺院4か寺の本尊が不動明王でした。また、丸森、筆甫、川張の3か所に不動堂があり、合わせて町内には28の不動明王が祀られていました。
お堂の中には、多くの招き猫が奉納されています。村田町歴史みらい館の館長・石黒伸一朗(いしぐろしんいちろう)氏の調査によると、「招き猫が36体あり、養蚕が盛んであった頃、蚕に害をなす鼠避けとして堂内の1体を借り、豊穣の時には焼き物の猫像を買い求めて2体にして返した。隣接する伊達市梁川町五十沢の養蚕農家からも厚く信仰されていたようです」とのことでした。
不動堂は、明治3年の地滑り、大正13年の火災にあっていますが、地元の人たちの厚い信仰心と郷土愛によってその都度復旧され、現在に至っています。なお、お堂の上の落ちそうで落ちない大岩は、「落ちない」ということから、最近は合格祈願に訪れる人もいるそうです。

<この記事についてアンケートにご協力ください。>

〒107-0052 東京都港区赤坂2丁目9番11号 オリックス赤坂2丁目ビル

市区町村の広報紙をネットやスマホで マイ広報紙

MENU