2月20日から同26日まで、川崎町の職員2名が、石川県能登町に災害派遣として、避難所運営を行いました。
ここでは、現地で災害復旧支援を行ってきた職員の報告を掲載します。
◆能登町の概要
能登町の面積は273平方キロメートル、川崎町が271平方キロメートルですので同じくらいの面積です。人口は本年1月時点で1万4227人と当町より約6千人多い町です。
◆避難所も問題は山積み
能登町は2月21日時点で41の避難所に724人の町民が避難しています。避難所は他県の派遣職員が1週間単位で交代するスケジュールとなっており、私たちは避難所開設から49日目の第7クールとして派遣されました。私たちが派遣された避難所には54名の避難者がおり、そのほとんどが60代以上の方々で、75歳以上の高齢者も全体の25%、14名ほどおりました。
主な業務は、トイレの清掃と配給されたカップラーメンやパン、缶詰、レトルト食品から3食の献立を考え給食することです。避難所が立ち上げられた当初、食べ物は備蓄品のビスケットや水だけで、トイレは使えず、100名を超える避難者が押し寄せ、廊下でも寝泊りをしていたようです。1月下旬には80名の避難者のうち20名を超える人たちが新型コロナウイルスやインフルエンザに感染するなど、避難者も避難所を運営する側も言葉では言い表せないほどの苦労があったことでしょう。
高齢避難者の中には自宅で生活することができる方もいらっしゃったようです。それでも不便な避難所に留まるのは、余震の恐怖に加え、自宅に帰っても一人だという孤独がその理由ではないかと思いました。
避難者の居住スペースは段ボールで仕切られているだけですので周りの音も聞こえますし、自分が出す音も周りの人に聞かれます。近くを歩けば中も丸見えです。寝床は堅い段ボールベッド。これだけでもかなりの身体的疲労とストレスが溜まることは容易に想像できます。発災から2カ月が経過しましたが、避難者の方々は仮設住宅完成予定の4月下旬までこの生活を続けなければならないのかと思うと心が痛くなりました。
◆避難者に寄り添う方々
私たちが能登町にいた7日間のうち、6日間は雨で風も強く、肌寒い日が続きましたが、そのような悪天候の中でもほぼ毎日のように炊き出しが行われ、日本人だけでなくクルド人やタイ人など外国の方々の炊き出しもありました。年齢構成も大学生のような若い人たちから還暦を過ぎたご年配の方々など様々です。また、炊き出し以外でも朝から日が暮れるまで避難者のマッサージをしてくれた方もいらっしゃいました。避難者に寄り添うというのは、まさにこのような方々のことであり、心から尊敬とただただ頭の下がる思いでした。
◆これからの課題
今回の派遣で一番悩んだことは、行政はどこまで避難者の要望に応えるべきなのか。どこまで寄り添えば良いのかということです。現地対策本部では、3月以降徐々に避難者による自立した避難所運営を行う意向ですが、私たちが担当した避難所は高齢者率が高く、また介護が必要な方もいます。行政が主として行う公助に限界があることを今回の派遣で改めて認識しました。自らの身は自分で守るという自助ができない人の多さにも驚きました。そして、地域住民が協力して共に助け合う共助は理想と言葉の響きは良いものの、備えがない中では成し得るものではないということも痛感しました。やってあげることはたやすくとも、それによって自立を阻害することは否めません。でも、すべての人が同じことをできるわけではありません。本当に難しい問題だと思います。すべての地区に自主防災組織があり、日頃の備えがしっかりしていること。共助による避難者支援を確立するためにはこれに尽きると思います。
今回の地震で亡くなられた方々のご冥福と被災された方々が一日でも早く日常を取り戻せることを心より祈って能登町派遣の報告といたします。
(報告者:太田大介)
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