(230) 古代の城柵
飛鳥時代から平安時代にかけて「蝦夷(えみし)」と呼ばれる人々が暮らしていた東北地方(陸奥国(むつのくに)・出羽国(でわのくに))と新潟県(越後国(えちごのくに))には「城柵(じょうさく)」という施設が政府によって造られました。
当時、飛鳥や奈良、京都などに置かれた政府は、律(りつ)と令(りょう)という法制度により政治を執っていましたが、それに従わない蝦夷の地を領域下に置くため、行政や軍事の拠点施設である「国府(こくふ)」を陸奥国・出羽国・越後国に設置しました。その長官に蝦夷の動向を把握し、もてなすことで取り込んだり、反乱を鎮圧したりするための権限を特別に与えるとともに、周辺各地に国府の出先機関を造りました。城柵は、これらの施設を総称するものです。他地域との交流を示すさまざまな出土遺物からは、城柵が文化の拠点でもあったことが分かっています。
多賀城は、神亀(じんき)元年(724年)に陸奥国に設置された国府で、その出先機関として牡鹿柵(東松島市)や伊治城(栗原市)が、さらに北に胆沢城(奥州市)、志波城(しわじょう)(盛岡市)、徳丹城(とくたんじょう)(矢巾町)が設置されました。出羽国には、秋田城(秋田市)、払田柵(ほったのさく)(大仙市)、城輪柵(きのわのさく)(酒田市)などの城柵が設置されていました。
今年、多賀城が創建1300年を迎えた記念として、多賀城をはじめとする8つの城柵の「御城印(ごじょういん)」が発行されることになりました。この機会に、この地方特有の遺跡である各地の城柵を巡ってみてはいかがでしょうか。
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