6月24日、文化審議会が郡元西原(にしばる)遺跡を国史跡大島畠田遺跡に追加指定するよう文部科学大臣に答申しました。今後、同大臣が国史跡に追加指定(国指定文化財)し、「大島畠田遺跡 附(つけたり) 郡元西原遺跡」となる予定です。今回は、遺跡の概要について紹介します。
■2つの遺跡のここがすごい!
現代からさかのぼること約千年。時は平安時代、紫式部や清少納言などが活躍し、華やかな文化が花開きました。一方で、地方に目を転じると、新しい有力者らが武士団へと成長し、天皇や貴族を中心とする「古代」から、武士の世である「中世」へと、世の中が大きく変わろうとする時代でもありました。
大島畠田遺跡は、平安時代の初め頃、都城盆地に生まれた有力者の屋敷跡です。郡元西原遺跡は、平安時代の終り頃に造られた大溝で囲まれた屋敷跡です。武士の館の始まりの可能性があるほか、島津荘に関係する施設であった可能性も考えられています。
2つの遺跡は、南九州において、古代から中世への時代の移り変わりを具体的に示す遺跡であり、全国的にも非常に珍しい遺跡群といえます。このことが評価され、今回の答申につながりました。
これを記念して、市では現在、都城歴史資料館企画展「大島畠田遺跡と郡元西原遺跡」を開催しています。
郡元西原遺跡は発掘後、埋め戻しているため、見学などはできません。詳しくは企画展に来場ください。
※企画展の概要は、本紙7月号18ページに掲載
○「大島畠田遺跡 附 郡元西原遺跡」の「附」とは?
附指定とも呼ばれます。本体の文化財に深い関係があり、本体の価値を補ったり、価値をさらに高めたりする文化財を本体とともに指定する方法です。
○国史跡には、どうやって選ばれる?
文化財の候補を調査したあと、文部科学大臣が文化審議会に諮問(意見を求めること)をします。審議会は文化財の価値について審議し、文部科学大臣に答申(答えを返すこと)します。文部科学大臣は答申を受けて、文化財を指定します。
○国指定文化財とは?
日本の歴史・文化遺産の中で、特に重要なものとして国が指定した文化財のことです。国宝・重要文化財・史跡・名勝・天然記念物などの種類があります。
■大島畠田遺跡および郡元西原遺跡、2つの遺跡の概要を紹介
大島畠田遺跡は、天皇を中心とする政治体制が崩れ地方に有力者が生まれていく「古代の終わり」を示す遺跡であり、郡元西原遺跡は、地方の有力者が武士へと成長していく「中世の始まり」を示す遺跡といえます。この2つの遺跡をつなげることで、古代から中世への時代の移り変わりをうかがい知ることができます。
○大島畠田遺跡
大島畠田遺跡は金田町にあります。平安時代の地方有力者の屋敷跡で、最も栄えたのは9世紀後半から10世紀初め頃までと考えられています。
敷地の広さは5千平方メートル以上あり、外とは門や柵、溝などで区切られています。また敷地内には、88坪以上の大きな掘立柱建物や、それよりも小さな建物、中島のある池などが造られていました。遺跡からは、多くの外国産陶磁器や国産の陶磁器、地元で焼かれた器、墨で文字が書かれた墨書土器などが出土し、役人が身に着けていた帯の飾りなども見つかっています。陶磁器の中には、都で見つかるような貴重な品が多く出土していて、途方もない富を蓄えた有力者の豊かな暮らしぶりがうかがえます。
このような遺跡は全国的にも珍しく、平成14年に国史跡になり、現在は歴史公園になっています。
○郡元西原遺跡
郡元西原遺跡は郡元町にあります。11世紀後半から12世紀にかけて造られた約50メートル四方の溝で囲まれた屋敷の跡です。
敷地の西側と南側は大型の溝、東側と北側は小型の溝で区切られていて、敷地内からは掘立柱建物などが見つかりました。大溝の幅は最大6メートル、深さ1.8メートルもあり、この大きさから防御的な役割も考えられます。遺物の中には、一部外国から輸入された陶磁器も出土しています。
これまで市が行った郡元・早水地域の発掘調査から、この周辺一帯では、平安時代の終り頃から鎌倉時代にかけて耕地の開発が行われたことが分かってきました。郡元西原遺跡はその中で最も古い遺跡の一つで、開発初期の拠点的な施設だったと考えられています。また同時代は、都城盆地に生まれた島津荘が拡大していく時期にあたり、島津荘に関わる施設であった可能性も考えられています。
◆郡元西原遺跡と島津荘
南九州をフィールドとする古代研究者である永山先生に話を聞きました。
島津荘は、平安時代の中頃、日向国諸県郡島津駅付近の土地を、大宰府の官人平季基(たいらのすえもと)が開発し、関白藤原頼通に寄進して成立した荘園です。鎌倉時代の初めには、日本最大の荘園へと発展しました。
郡元・早水地域は、島津荘の開発が始まった地域とされています。郡元西原遺跡は、開発の初期段階に営まれた拠点的な施設で、開発に携わった有力者の居館や島津荘経営の中枢機関であった可能性が考えられます。
(ラ・サール学園 永山修一先生)
問い合わせ:文化財課
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