■医学部卒業から43歳で教授になるまで
2007年鳥取大学医学部を卒業後に医師免許を取得(しゅとく)、京都第二赤十字病院(きょうとだいにせきじゅうじびょういん)にて初期研修(しょきけんしゅう)を経(へ)て、鳥取大学医学部附属病院勤務。医師5年目から「造血幹細胞移植(ぞうけつかんさいぼういしょく)」を学ぶために自治医科大学附属(じちいかだいがくふぞく)さいたま医療(いりょう)センター移動。後(のち)に自治医科大学大学院(じちいかだいがくだいがくいん)にも進学し博士号取得(はかせごうしゅとく)。2023年より鳥取大学医学部血液内科の教授に就任(しゅうにん)。
みかさん:大学卒業後からのチャレンジと決断の積み重ねがすごいですね。そして43歳で鳥取大学の教授に就任、すごい!早くないですか!?(驚)
河村さん:そうですね、鳥取大学では最年少でした。現在は血液内科の臨床(りんしょう)、医学生や大学院生の指導=教育、研究に従事(じゅうじ)しています。
みかさん:子どもの頃に、「世の中のために役に立つ研究、理系分野(りけいぶんや)の学者になりたい」と漠然(ばくぜん)と思っていたと言われていましたが、ぴったりはまっていますね。しかし「臨床」「教育」「研究」の三本柱(さんぼんばしら)をこなすのは大変でしょうね?
河村さん:そうですね、大変と言われればそうかもしれませんが、私は鈍(にぶ)いのか?(笑)大変だと思わないです。日々診察と治療をする中で、患者(かんじゃ)さんが良くなれば達成感(たっせいかん)もありますし、仕事にやり甲斐(がい)を感じています。
みかさん:すばらしいです!
河村さん:でも、実は家庭では3人の子どもたちとは(高1長男、中2長女、小5次女)殆(ほと)んど遊んであげられてないんです…。過去に家族と離れて、9年間も単身で埼玉県に住み仕事をしていた時期もありますし、ワーカホリックな面もあって今も週末は時間があれば仕事をしていて…。妻も仕事をしていますが、子どものことは全(すべ)て妻にお任せで頭が上がりません。本当に妻のお陰(かげ)です。
みかさん:河村さんが仕事に情熱を注げるのは、奥様の協力あってこそなのですね。
みかさん:今後の目標や夢はありますか?
河村さん:血液内科医を増やして、育てることです。他県もそうですが、地方では血液内科を目指す医師が減っています。現実では血液内科だけでなく、若手医師の内科・外科離れは日本全体の問題となっていますので、医療崩壊につながらないよう、次の人材をしっかり育てていきたいです。
あと昨今の新薬開発の進歩は著(いちじる)しく、少し前まで救えなかった患者さんが救えるようになってきています。この進歩についていくために、今後もしっかりと勉強していきたいと思います。「一人でも多くの医師を育て、一人でも多くの患者さんを救うこと」これが私の使命ですね。
〔追記〕実際に鳥取大学では医師不足、人材不足により造血幹細胞移植(ぞうけつかんさいぼういしょく)の実施ができない状況に。しかし河村さんが自治医科大学にて9年間臨床と研究を重ね勉強された結果、鳥取大学では令和2年から移植が再開され、令和5年には最もグレードの高い移植施設として認定される。河村さんは地方における移植医療体制の確立を目指し、骨髄移植(こつずいいしょく)の啓発活動等(けいはつかつどうなど)も行っている。
◇日本骨髄バンク
(【URL】https://www.jmdp.or.jp/)
■子どもたちにメッセージ
人それぞれ得意なもの、苦手なものがあると思います。自分にとって得意なもの、本気になれるものを見つけてください。もしまだ見つからないなら、とりあえず勉強しましょう。勉強して損はしないし、将来の選択肢は確実に広がります。
そして努力無しでは成功はありません。他人と比べる必要はありませんが、自分が後悔しないためには目標に向かって頑張ること、努力が大切です。頑張ればどこからでも成功はできます。ぜひ本気になれることを見つけ、頑張るべき時には全力で取り組みましょう!
◇編集後記
癌化(がんか)する細胞(さいぼう)もそもそもは自分の身体の一部。年を重ねるにつれ、細胞の修復機能が落ちていくのは自然なことです、と河村さん。その言葉に妙に納得、安堵(あんど)を覚えました。「人は病気の有無(うむ)に関わらず、明日何が起こるか分かりません。それは生きている私たち全員に平等に言えること」だと。24時間休まず働いてくれている身体(からだ)に感謝し、今、自分に与えられた時間を大切に生きなければと、改めて思い直す取材となりました。
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