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自治体の皆さまへ

新庄開府400年の歴史に学ぶ

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山形県新庄市

~郷土への愛着と誇りを高め新たなまちづくりへ~
第6回 新庄藩の支配機構

江戸幕府の成立後、家の安泰を図るため、江戸幕府徳川家の忠臣などとの結び付きを強めた羽州新庄藩戸沢家。11代続いた藩政の礎はその後どのように築かれたのでしょうか。今回は、藩政の実務的な礎となった支配機構がどのように確立され、領内の町人・村民が統制されていったのかを学びます。

■支配機構の整備、藩の施策を執行した役人たち
新庄藩の藩政は、藩政を統括する家臣の最高職位である「家老」、家老や侍の組をまとめる「番頭」、領内都市部の行政・司法を担う「奉行」、主君と家臣の間の意志疎通役である「取次」、城中や藩中を監督する「目付」などの役人によって行われていました。この支配機構は、創設当初からの制度ではなく、時代とともに整備されてきた体制でした。こうして、以前はなかった役職が次々と置かれ、各係も増員されていきました。
1671(寛文11)年頃には、番頭や藩主の側で各種の事務を担当する用人である、一騎役(主君から領地を分与される身分の高い武士)だけで、46人が役に付くようになりました。そのほか、城中や諸役所、藩主が造営した寺社の修繕を担う「作事方(子)奉行」などの役人も新規で置かれるようになりました。
以後、その時々に応じて、役所の改廃や新規の増設、人数の変更が何度か行われました。

■領内を12の※郷に分け、代官を配置
藩は6万8千2百石の領内を12の郷に分け、その各地に代官1名を配置して領民の支配に当たらせました。このうち、上・下小国、舟形、古口、大沢、金山、上・下谷地には代官役所を設け、代官がこれらの郷に赴き、事務を行いました。
庄屋は一村を代表して、藩(代官)のお触書命令を受け取り、これを村民に徹底させたほか、村民からのさまざまな願いや訴えを受けて、これを代官などに取り次ぎました。
※郷:村の集合体

▽整備された12の郷

■町人に対する、藩の支配機構
新庄城下の町人町である南本町(旧五日町)と北本町(旧十日町)を中心とする諸町は、直接的には町奉行が管轄していましたが、町役人として、南本町には「名主」、北本町には「郷年寄」が置かれました。これらの役職は、郷村の庄屋と同じく、町内の代表として外部との調整にあたり、町内をまとめました。このほか、宿場町では、問屋やその他の町役人と協力し、羽州街道を参勤交代で移動する諸侯たちの、荷物や人馬の輸送に当たりました。
―次回に続く

出典:シリーズ藩物語「新庄藩」大友義助著

詳しくは、歴史センターへ。
【電話】22-2188

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