■最新発掘調査情報!御勅使川堤防址群発掘調査
〜六科地区の水害と復興〜
現在、御勅使南公園の南側では耕地をより使いやすくするために区画を整え、道路や水路を整備する圃場整備工事が行われています。工事の計画範囲内には堤防遺跡が存在しているため、後世にその記録を残すために発掘調査を実施しました。今回は最新の発掘調査成果をお伝えします。
発掘調査地点は西から東へ緩やかに傾斜する水田地帯であり、調査区北側は御勅使南公園となっていますが、かつて公園内は広大な御勅使川河原の一部であり、その南にはいくつもの堤防が築かれた、今と異なる風景が広がっていました。明治二十一年の地形図(※1)を見ると、国史跡である将棋頭(※2)を境として北に御勅使川、南に前御勅使川が流れており、それぞれの両岸では不連続の堤防群が築かれていたことが分かります。調査地点の旧堤防は、将棋頭から不連続に続く御勅使川堤防の一つで、御勅使川が現在の河道に整備されるまで六科の水田や下流の集落を守っていました。
調査ではトレンチという長方形の穴を掘り、その壁に現れた旧堤防の断面を観察、記録を行いました。調査の結果、旧堤防や水田、それらを覆う洪水の痕跡が発見されました。最も古い堤防は地上から深さ約三m下の地点から築かれており、堤体は上部が削られているため正確な高さは分かりませんが、現状残っている高さは約一・二mを数えます。堤体は御勅使川が運んできた砂や石を積み上げて構築されていました。今回見つかったのは直接川に面していない堤防の裏側にあたります。また堤防が守っていた古い水田が広がっていたことも確認できました。この水田の正確な時期は不明ですが、旧六科村で初めて水田が作られたのは徳島堰(※3)の完成(一六七○年)以降とされるため、この水田もその時期以降と考えられます。
この古い水田の上には砂礫が堆積していました。これは御勅使川が氾濫し、堤防を越えて水田地帯に洪水の被害をもたらしたことを表しています。洪水を受けて堆積した砂礫の上には新たな堤防と水田が作られていたことも分かりました。
今回の発掘調査の成果は、徳島堰の水を利用して水田を切り拓き、洪水で被害を受けた後も再び土を盛り水田を作り直し、砂礫を積んで堤防を嵩上げした、まさに水害と復興を繰り返してきた旧六科村の人々の姿を今に伝えています。
※1 明治21年陸地測量部作成地形図のこと
※2 将棋の駒に見立てられた石積みの堤防で、徳島堰から将棋頭の堤内に導水して作られた六科村の水田と集落、その下流の集落を守っていた。石積出や桝形堤防を含め御勅使川旧堤防(将棋頭・石積出)として国の史跡に指定されている
※3 韮崎市上円井で釜無川から取水し、曲輪田新田まで約17kmを結ぶ灌漑用水
※発掘によって収集されたデータは今後整理・分析が行われ、調査報告書にまとめられます。今回お伝えした内容が訂正される可能性があります。
文・写真 文化財課
※詳細は本紙P.14~15をご覧ください。
▽ふるさと文化伝承館テーマ展 開催中!
史跡御勅使川旧堤防(将棋頭・石積出)指定20周年および桝形堤防史跡整備完成・一般公開記念
「てっすげえじゃんけ!桝形堤防、将棋頭、石積出」
期間:令和6年5月24日(金)~12月18日(水)
場所:ふるさと文化伝承館(木曜日休館)
史跡御勅使川旧堤防は日本の治水・利水を代表する文化財です。その史跡を構成する桝形堤防の整備が完了し、3月28日から一般公開を開始しました。それを記念して、現在の南アルプス市の果樹産業につながる史跡の歴史、魅力を紹介します。
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