◆遠光(とおみつ)が開き 多仲(たちゅう)が建てた 遠光寺(えんこうじ)
おかげ様で、この「ふるさとの誇り」の連載も今回で二〇〇回目を迎えました。平成十八年(二〇〇六)五月号から、紙面の関係で途中掲載のない月もありましたが、この間約十八年、掲載を続けてこられたのは、読んでくださる市民の皆さまのおかげです。
さて、今回は初めて南アルプス市内を飛び出し、甲府市伊勢にあるお寺、遠光寺を紹介します。現在荒川の東岸、新平和通りの東側にある遠光寺は、その名のとおり甲斐源氏の加賀美遠光(とおみつ)が開いたお寺です。遠光は、初めて南アルプス市域に拠点を置いた源氏で、平安時代の終わり頃、加賀美にある現在の法善寺の場所に館を構え、長男の秋山光朝(みつとも)、次男の小笠原長清(ながきよ)、三男の南部光行(みつゆき)らを周辺に配して、甲府盆地の中西部から富士川流域に勢力を持ちました。
お寺の記録によれば、遠光寺の創建は建保二年(一二一四)。当初は現在の甲府市小曲(おまがり)町にありましたが、その後の水害により現在の甲府市蓬沢(よもぎさわ)に移り、さらに水害によって天文年間(一五三二―一五五五)に現在の地に移転しました。江戸時代の安政元年(一八五四)には、遠光の三男、南部光行の後裔である盛岡城主南部氏による修復が行われています。
宗派は元々は禅宗でしたが、現在は日蓮宗となっています。甲斐国の日蓮宗寺院では、かつて上市之瀬の妙了寺(みょうりょうじ)、鏡中条の長遠寺(じょうおんじ)、そして甲府市伊勢の遠光寺の三ヶ寺が、総本山である身延山久遠寺(くおんじ)から出されたお触れが真っ先に伝えられる「触頭(ふれがしら)」とされ、その後それぞれの「触頭」から下位の寺院にお触れが伝えられました。中でも遠光寺は「河東之惣導師(かとうのそうどうし)」として、釜無川以東の日蓮宗寺院を支配しました。
その遠光寺ですが、昭和二十年(一九四五)の七月六日から七日にかけての甲府空襲で焼失してしまい、現在の本堂は、昭和四十五年(一九七〇)に内藤多仲の設計により法隆寺の夢殿を模して再建されたものです。多仲らしい鉄筋コンクリートの重厚なデザインで、施工は大成建設。ご存じのとおり、内藤多仲は、明治十九年(一八八六)現在の南アルプス市曲輪田に生まれ、東京タワーなど数多くの鉄塔を設計し「塔博士」、「耐震構造の父」などとして有名です。
加賀美遠光と内藤多仲。遠光寺は、二重の意味で、南アルプス市とは縁の深いお寺なのです。
なお、多仲の生誕地である曲輪田にある円宝寺の本堂も多仲の設計。このモダンな本堂は、昭和三十七年(一九六二)、多仲が自らの喜寿(七十七歳)の節目として、ふるさとへの思いを込めて建立したものです。
文 文化財課/写真 早稲田大学内藤多仲博士記念館(※)・文化財課
※詳細は本紙P.10~12をご覧ください。
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