■国指定史跡「御勅使川旧堤防(将棋頭・石積出)」石積出(いしつみだし)のひみつ
石積出は、南アルプス市有野にあり、御勅使川扇状地の扇の要(かなめ)(扇頂部(せんちょうぶ))に築かれています。普通とはちがう、川に突き出すように造られた石積みの堤防なのでこう呼ばれます。一番堤から五番堤まであり、この内一番から三番堤が、全国的にもユニークな堤防遺跡として、先月紹介した桝形堤防(ますがたていぼう)や次回紹介する将棋頭(しょうぎがしら)とともに国の史跡に指定されています。
石積出は、これまで武田信玄の治水伝説の中で、甲府盆地を守る信玄の構想によって造られたといわれてきました。しかし近年の研究によって、御勅使川の治水のまさに要として、御勅使川扇状地に水害が広がるのを防ぐ役割があり、長期にわたり地域の人々によって大切に守られてきた堤防であることが明らかにされています。少なくとも、江戸時代の初め頃までには、各村が共同で人手などを出し合って石積出を守る仕組みができていて、承応3年(1654)の史料によれば、その範囲が御勅使川扇状地上のほぼ全てにあたる22ヶ村に上ることがわかります。
この内最も遠いのは、石積出から約8~9km離れた寺部、十日市場、小笠原などですが、現代の感覚からすれば、これらの地域に暮らす方々に石積出が決壊し、御勅使川が氾濫したら自らの地区に被害が及ぶと言っても、あまりピンと来ないかもしれません。しかし、扇状地では扇頂部で氾濫が起こった場合、洪水流が放射状に広がり、広範囲に被害が及ぶことを昔の人々は知っていたのです。だからこそ何kmも離れた場所の堤防を守るための負担にも納得していたのです。実際、延享4年(1747)には、石積出二番堤が決壊し、その際は寺部を始め、有野、飯野新田、飯野、百々、在家塚、上八田、榎原、徳永、上今諏訪、下今諏訪、上今井、下今井、吉田という扇状地のほぼ全域を洪水流が襲ったという記録もあります。
改訂前の南アルプス市の洪水ハザードマップでは、御勅使川扇状地は洪水に備える必要が低いエリアとされていました。しかし、このような歴史を踏まえるなどして、現在のハザードマップでは、扇状地全域が洪水への備えが必要なエリアとされています。
治水技術は大きな進化をとげ、市域にはもう何十年も大規模な洪水の被害は記録されていません。しかし一方で、地球温暖化による影響からか、これまで経験したこともないような雨量を記録する例も増えています。何百年、何千年に一度の水害を考えるとき、過去を振り返る重要性は増しており、今こそ歴史の教訓に学ぶ時なのかもしれません。
その構造や機能、構築時期など、さらなる“ひみつ”解明のため、石積出は、現在も教育委員会によって発掘調査が進められています。
文・写真 文化財課
◇ワタクシダシと水宮神社
石積出で防御できない場合に備え、地域では住民自らが「ワタクシダシ」という堤防を造り備えた。また、有野地区の水宮神社は、かつては御勅使川扇状地全体の守り神として、石積出を共同で保守する22 ヶ村で守られてきた。大正時代に拝殿を修復する際もこの22ヶ村で資金を出し合っている。
※詳細は本紙P.14~15をご覧ください。
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