■遺跡からわかる、中世の鵜沼
◇室町時代
室町時代の鵜沼地域には、第7代美濃国守護・土岐持益の承国寺など、多数の寺院が建てられました。そのため禅僧の文学活動が盛んになり、漢文学の五山文学が発達しました。
室町幕府の後継者争いを発端に、応仁の乱が起こると、戦禍から逃れるため公家や僧侶が地方に散らばり、鵜沼地域にも避難してきました。そのため、京都で展開された文化や学問が広まり、より一層発達しました。
承国寺遺跡からは、室町時代の瓦や、多量の土師器(はじき)皿(本紙参照)や中世の瀬戸・美濃窯産の施釉陶器などが出土しました。土師器皿は、京都の土師器皿を模倣して作られたもので、客をもてなす宴会や儀礼などに使用されました。これらは、京都文化の影響を示す重要な遺物です。
◇戦国時代
尾張の織田氏の勢力拡大は、守護・土岐氏に代わって実権を握った守護代・斎藤氏にとって脅威となりました。そのため、国境である木曽川沿岸の城山に鵜沼城を、承国寺に土塁を築き、鵜沼地域は濃尾国境における防衛拠点となりました。
鵜沼城跡では発掘調査が行われていませんが、周辺の発掘調査によって、鵜沼城の西側で、鵜沼城城主・大沢次郎左衛門の居館を囲む土塁や堀跡などが見つかりました。堀の中からは、土師器皿や施釉陶器などが出土しており、大沢氏が居住した時期のものと考えられます。
〔企画展〕
中世鵜沼の栄枯盛衰 鵜沼古市場遺跡の調査から
室町時代の寺院が並ぶ地域から、戦国時代の国境の防御拠点へと、時代ごとに変わる鵜沼地域の様子を紹介します。
期間:8月3日~9月8日 午前10時~午後5時(8月5日・13日・19日・26日、9月2日・6日は休館)
場所:中央図書館3階展示室A(那加門前町3)
備考:8月3日(土) 午前11時~、学芸員が展示を解説
〔まいぶん講演会〕
中世の鵜沼 鵜沼古市場遺跡の発掘調査成果から
日時:8月31日(土) 午後1時30分~3時
場所:中央図書館4階多目的ホール
費用:300円
定員:140人(申込順)
講師:井川祥子(岐阜市歴史博物館)
申込と詳細:電話または市ウェブサイト内専用フォーム(本紙QRコード参照)から、埋蔵文化財調査センター
【電話】058-383-1123
■鵜沼に定住した漢詩人
万里集九(ばんりしゅうく)
万里集九は、応仁の乱から逃れ、鵜沼地域を訪れた僧侶です。京都の戦禍を避けて近江へ逃れ、のちに美濃や尾張を転々としました。文明12年(1480年)ころには、鵜沼地域に「梅花無尽蔵」と名付けた庵を構えて、定住しました。
中世の鵜沼地域の様子が分かる文献史料は多くありません。万里の漢詩文集『梅花無尽蔵』には、この地域での生活や承国寺での詩会の様子が書かれており、室町時代の鵜沼地域がわかる貴重な資料です。
■「関ヶ原の戦い」と各務原
いわゆる「関ヶ原の戦い」は、慶長5年(1600年)9月15日、徳川家康率いる東軍と、石田三成率いる西軍との戦いを指します。しかし、その合戦の前後にも、全国各地で、東軍と西軍との戦いが繰り広げられており、それらを含めて関ヶ原の戦いと言います。
各務原市域でも、同年8月22日、岐阜城攻略を目指して木曽川を渡る東軍と、それを阻止する西軍との戦い「米野・新加納の戦い」がありました。
美濃国では他にも、8月22日の竹ヶ鼻城、23日の岐阜城、河渡川など、各地で戦いがありました。これらは、東西両軍が9月15日に関ヶ原で激突することにつながる重要な出来事です。関ヶ原の戦いの前哨戦が繰り広げられた「慶長五年八月の美濃」について、研究者が最新の研究成果を持ち寄り議論する、シンポジウムを開催します。
〔関ヶ原の戦い前哨戦シンポジウム〕
「慶長五年八月の美濃」
日時:8月24日(土) 午後1時30分~4時30分
会場:産業文化センター1階 あすかホール(那加桜町2)
定員:400人(先着・申込不要)
講演:
・「慶長五年八月の美濃」山田昭彦(岐阜県博物館)
・「米野・新加納の戦い」長谷健生(市歴史民俗資料館)
・「竹ヶ鼻城の戦い」奥村和磨・羽島市郷土史家
・「岐阜城の戦い」内堀信雄(岐阜市文化財保護課)
座談会:「慶長五年八月の美濃を位置づける」
詳細:歴史民俗資料館
【電話】058-383-1361
詳細:文化財課
【電話】058-383-1475
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