■黒岩の神社
10月29日(日)学びのとびら・まち歩き11弾として竹内美知久さん(黒岩)の道案内で黒岩の神社めぐりを行いました。
黒岩には、黒岩神社をはじめ、白山神社・秋葉神社、そして境内社として多くの神社が祀られています。厳しい山道の上に神社があり、昔、修験者の修行の場所であったことが理解できました。
広い境内が整然と整備され、地域の黒岩神社に対する思いが伝わってきます。
また、現在宮内庁に保管されている鏡、勾玉、管玉が発見された前山古墳跡の場所も確認することができました。
※ルート詳細は本紙をご覧ください。
(1)黒岩神社
町指定文化財の「一の鳥居」をくぐります。
この鳥居は明神系の優美な姿であり、黒岩神社と対面する白山神社の両面鳥居として江戸中期に創建されました。
黒岩神社は氏子の安寧と健康無事・五穀豊穣を祈願します。黒岩神社の呼称となったご神体である巨大岩は、思わず手を合わせたくなるような神々しいものでした。
また、境内には津島神社・臼島明王など祀られています。
(2)白山神社
山岳信仰の対象として白山をご神体とする白山比咩神社(しらやまひめじんじゃ)の末社。
黒岩神社から白山神社に向かう参道は緩やかな山道でこもれびも美しく心癒されます。また、御嶽神社も鎮座されています。
(3)秋葉神社
火の神として、民を火の災いから守っています。白山神社から秋葉神社への道は急坂で足元がきつく、年一回の祭礼の時の大変さが想像できます。とてもいい運動になりました。
(4)前山古墳跡
直径20m~30mの円墳で築造が五世紀前半と推定されます。この辺りは古東山道が走り、これを管理した豪族が大和政権から下賜されたものと思われます。
発見された4枚の鏡と勾玉・管玉は現在宮内庁書陵部に保管され、ホームぺージでご覧いただけます。保管状態も良く、一度町に里帰りできることを願います。
■猿啄城跡の麓から姫が渕を眺め、武家屋敷跡と氷場を見る
11月5日(日)学びのとびら・まち歩き12弾として「猿啄城跡の麓から歴史を振り返り、氷場を見る」を開催しました。前期の企画で多くの方に申し込んでいただきましたが、雨天のため後期の開催となりました。
※坂祝町 城山 猿啄(さるばみ)城展望台案内図は本紙をご覧ください。
(1)猿啄城跡の麓
猿啄城は室町時代に築城され、軍事的・政治的の目的を持った城でした。当時城山の麓は木曽川と迫間川の合流地点が入り江になっていて、船着場があり家中居屋敷や城主の居館がありました。今でも当時の生活が分かる中国青磁や瀬戸美濃産茶壷の欠片を見つけることができます。山の頂上には見張り台のような櫓があったと言われ、数年前に16世紀代の茶壷の欠片を見つけることができました。景色を楽しみながらお茶を楽しむ場でもあったと思われます。
猿啄城の歴史は4期に分かれ、西村豊前守善政・田原左衛門頼吉、そして織田信長の東美濃攻略で戦った多治見修理については、歴史マンガ「猿啄の春」でご存知のとおりです。最後の城主は長蔵寺を菩提寺にした河尻肥前守鎮吉です。猿啄城に関わる昔話も残されています。
(2)氷場
明治から大正にかけて一大産業となった天然氷事業について若井水絵さん(深萱)にお話を聞きました。
勝山の林新五郎が明治に入り、城山山麓の陰地で「天然氷問屋」を始めました。
3面の氷池を使い天然氷を製造し、大八車で勝山の倉庫に運び、川舟で岐阜や名古屋にも出荷しました。土田の氷も勝山倉庫に保管された後、出荷されたようです。
旧氷場に立ってみると、他の場所より随分ひんやりとしていて、ここで氷作りが行われていたことが体感できました。
※猿啄城の「啄」は環境依存文字のため、置き換えています。正式表記は本紙をご覧ください。
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