■酪農王国・美濃加茂市
合併当時、新市を「特殊産業として養蚕、酪農の中心地帯」(『広報美濃加茂市第1号(昭和29年8月1日号)』)と特徴づけ、田園都市として農業の振興を政策の基本に据えました。その中で目玉となったのが「県下一の酪農模範地区」とされる酪農です。計画を後押ししたのは、昭和29年6月に制定された酪農振興法でした。国として「酪農の急速な普及達発及び農業経営の安定」を目的にさまざまな施策を打ち出そうとしていたのです。
昭和30年、当市を含めた中濃3市9町村は法律に基づいた「中濃地区集約酪農地域」の指定を目指します。計画内容は、ホルスタインなどの乳牛の増殖と改良、名古屋などへの牛乳の流通、中濃家畜保健衛生所の拡充整備などで、その年の12月に全国33カ所の一つとして指定されました。指定理由には「消費都市名古屋に近接している」が挙げられ、都市近郊の生産地としての評価があったようです。
指定をきっかけに、また生活の変化によって牛乳の消費が伸びつつあったことも背景に市内の酪農は活況を呈し、乳牛の審査会なども数多く行われます。『広報美濃加茂市第18号(昭和33年9月1日号)』では「伸ゆく『酪農王国美濃加茂』」の見出しが躍っています。岐阜県の酪農行政は美濃加茂市に総力を集中して展開され、県下唯一の岐阜県家畜メインセンターが昭和32年6月頃に太田町前平に建設されます。北海道の風景を思わせるひときわ目を引く赤い屋根の外観でした。ここでは種牡牛の集中管理と人工授精などが行われ、併わせて、山之上、蜂屋、加茂野の平坦地には約20ヘクタールの草地が造成されサイロも増設されました。
◆[Pick Up]「県内初のミルクタンクローリー」
美濃加茂市と加茂郡の酪農農家977人により、昭和37年5月に「加茂酪農協同組合」が設立され、翌昭和38年には5.7トン入りのタンクローリー車を岐阜県内で初めて購入します。美濃加茂市と周辺の酪農農家から1日12トンの生乳を集め、消費地の名古屋の工場へ1日3回直接運ばれました。当時、市内における乳牛の飼育頭数は県内の市でトップの2900頭、牛乳生産は市・加茂郡合わせて岐阜県内の約21%を占め東海地方屈指の地域でした。
問合せ:みのかも文化の森/美濃加茂市民ミュージアム
【電話】28-1110
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