益田市長 山本浩章
益田市には多種多様な歴史遺産があり、それらの指し示す時代もまた実に幅広いものです。
匹見に点在する縄文遺跡群や、当地がヤマト政権の山陰側の拠点だったことをうかがわせる大元1号墳、スクモ塚古墳などは、原始・古代の痕跡といえます。
幕末の石州口の戦いの開戦地である扇原関門跡は、まさに銃弾とともに近・現代が開け放たれた扉であり、歴史作家の司馬遼太郎が当地を「近代夜明けのまち」と呼んだ由縁の一つです。
そうした悠久の流れのなかで質量ともに抜きん出て充実しているのが、中世の歴史遺産です。石見国の有力武士団として勢力を築いた益田氏の城館跡である七尾城跡や三宅御土居跡、かつての城下町の名残を留める地割、雪舟作の庭園や重要文化財に指定された建造物を持つ神社・仏閣、そして多種多様な美術品・文化財が現存します。これほどにも「中世」が今なお息づいている地域は稀有とされます。
往時、これらの歴史遺産を見下ろすかのようにそびえ立っており、また平成16年に三宅御土居跡とともに「益田氏城館跡」として国の史跡に指定された中世益田のシンボル的存在が七尾城跡です。
七尾城は戦国時代末期に御殿や庭園を備えた礎石建物や櫓門と考えられる瓦葺建物などが整備されるなどして全山が城郭化されたことが発掘調査により明らかになっています。それまでの単なる山上の砦から、乱世を生き抜く政治・軍事の一大拠点へと変貌を遂げた山城であり、戦国期拠点城郭としての学術的価値は、上杉謙信の春日山城、織田信長の岐阜城、近江六角氏の観音寺城などと肩を並べます。
11月16・17日開催の「全国山城サミット益田大会」においても七尾城跡に光が当たります。城郭に一家言ある著名人に加え、地元の愛好家や活動家による語らいによって、新たな魅力が引き出されることでしょう。
同時に、日本遺産「中世日本の傑作 益田を味わう―地方の時代に輝き再び―」の意義を広く発信する絶好の機会でもあることから、いっそう周知啓発に努めたいと思います。
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