■シリーズお城拝見 第90回 新城(甲田町上小原)
歴史民俗博物館 副館長 秋本 哲治
江戸時代の地誌に記録があるものの、位置が不明な城跡は少なからずあります。今回紹介するのは、地元で忘れられていた城跡を現地調査により確認できたことに加え、それが江戸時代の記録と一致する可能性のある貴重な事例です。
◇上小原の城跡
上小原地区には城跡が少なく、これまでは(B)中山城と(C)塩屋城(南側は向原町戸島)のみが確認されていました。一方、1967年発刊の『甲田町誌』には、上小原の中山神社(中山城跡)の尾根続きに「新城跡」が存在するとあります。そこで今回現地を初めて調査し、新たな山城遺構((A)新城)を確認しました。『甲田町誌』では新城に対して中山城を旧城と称したとあり、一体的な城だった可能性もあります。なお、江戸後期の『芸藩通誌』には上小原に城跡推定地「物見丸」が記載されており、「物見丸」と「新城」は同一遺構の可能性があります。
◇室町〜戦国期の上小原
14世紀前半に毛利氏が吉田荘に入った際、上小原は吉田荘内の麻原(おばら)郷内にありました。その後、麻原郷に土着した毛利氏の分家が「麻原氏」と呼ばれます。一時強い影響力をもった麻原氏でしたが、15世紀後半に本家との抗争で粛清され、その後の麻原では、(D)長見山城が居城と言われる渡辺氏などの存在が知られています。
◇新城の概要
中山神社から南西の尾根続きを登ると標高300m付近に周囲を急峻な斜面で覆われた曲輪(くるわ)(1)があり、東西にそれぞれ堀切と土橋が残ります。さらに西に曲輪(2)があり、その周囲に粗い平たん面や土塁、土橋が残ります。全体は東西200m、南北130m、最高所は(2)(標高308m)ですが、周到に整地され眺望が良いのは(1)です。
史料はないものの、自然地形を生かした比較的古い構造の遺構であることから、15世紀頃の麻原氏との関係が考えられます。
※詳しくは本紙をご確認ください。
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