開館:10時~17時、
休館:月曜(祝日開館・翌日休館)・年末年始
■木砲のお話
「木砲(もくほう)」とは、文字通り木製の大砲です。
平成11年(1999年)4月、西城町西城の築150年ほどの屋敷の床下から「半円筒形」の松の木材が8本発見されました。
解体工事中に発見されたこの木材は、長さ1.7m、直径約40cmの丸太を半分に割ったもので、建物の土台として使われていましたが、裏返してみると中心部が直径12cmほど円筒状にくりぬかれており、その周辺にも溝が彫られるなど、土台としては不必要な加工が施されていることが分かりました。
木材の正体を探るため専門家に問い合わせたところ「くりぬかれた半円筒形の溝の根元に外に向けて小さな穴(火縄通穴)がある」「外側に竹の箍(たが)の跡がある」という特徴から、江戸時代から明治にかけて作られた「木砲」とみて間違いないとの回答がありました。
当時の西城町教育委員会は、木砲がなぜ西城町に存在するのか調査を始め、町内外の史料を探したところ、双三(ふたみ)郡作木(さくぎ)村(現三次市作木町)の「作木村誌」に木砲に係る記述があることが分かりました。
そこには、慶応2年(1866年)6月、第2次長州征伐のとき、作木村など国境(くにざかい)や川筋の村々では、郡役所より「百姓老若男女に至るまで、呼び出しがあれば、竹・槍・鎌・くわなどを揃えて敵兵を討ち取るべし」と通達が出され、併せて「木挽(こびき)」「大工」「桶屋」などが集められて、国境の護衛の目的で木砲の製造が行われたと記録されています。
発見された木砲とこれらの史実との関連については、その後の調査でも解明できませんでしたが、同時期に同様の目的で製造されたと推測され、幕末から明治維新にかけての、この国の激動の歴史の中に存在した貴重な遺物であることに間違いはないようです。
現在、この木砲は西城収蔵学習室に展示してありますので、ぜひご来場ください。
問合せ:田園文化センター(歴史民俗資料館・倉田百三文学館)
【電話】0824-72-1159
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