※写真は、本紙またはPDF版をご覧ください。
長く地域で愛されてきた上黒岩遺跡考古館は、今年開館50周年を迎えます。同じように、愛媛県の考古学グループで50年以上長く地域活動を続けてこられた遺跡発行会(正岡睦夫・名本二六雄・十亀幸雄・山之内志郎・河原茂)の方々に、上黒岩岩陰遺跡との関わりや発掘当時のエピソードを語っていただきました。
●正岡さんは上黒岩岩陰遺跡の調査を行われた、愛媛大学の西田栄先生の研究室におられたわけですよね。
正岡(1944年生まれ):西田先生は1次調査から参加されていて〔写真(1)〕、1次調査に参加されたのは私より3歳くらい上のメンバーで、私は出土した資料整理などを行いました〔写真(2)〕。
●これは貴重ですね!
名本先生は、『サラリーマン社長と「坊っちゃん」考古学』(2004晴耕雨読)によれば、上黒岩岩陰遺跡の2次調査の際に訪問されているとのことですが。
名本(1940年生まれ):写真(3)右上(麦藁帽子)の愛媛大学松岡文一先生と一緒に調査中に行きました。その当時、ある古墳を発掘調査していましたが、松岡先生から、「お前は愛媛県出身なんだから、顔を出しなさい」と誘われ、松岡先生のスクーターに乗せてもらい訪れました。
●ちょうどその時が集合写真のタイミングだったのですか。
名本:確か高知女子短期大学岡本健児先生〔写真(1)・(3)〕の写真撮影のためのフィルムがなくなりそうだったので、久万までお使いに行きました。戻ってきた時には、もう撮影は終わっていたので、自分は写っていません。
その後、松岡先生と関連する九州の福井洞穴などを尋ねて回りました。
●写真(3)はいろんな媒体に掲載されていますが、十亀さんも使われていますよね。
十亀(1947年生まれ):2020年3月の『考古学ジャーナル』(ニュー・サイエンス社)に「愛媛県の考古学史」をまとめた際に使いました。愛媛県を代表する考古学者が参加されていますから。
●正岡さんと十亀さんは『日本の古代遺跡22愛媛』(1985保育社)の中でも上黒岩岩陰遺跡に言及されていますよね。
正岡:あの当時は同志社大学の森浩一先生に依頼され、2人でいろんなところを回りました。遺跡の発掘調査に参加された三好保治先生〔写真(3)中央〕のところに、国分古墳の鏡などについて取材に行きました。
●4次調査にも遺跡発行会の関係者が参加されているのですね。橋本さんには貴重な4次調査に参加した時の写真を提供していただきました。
正岡:遺跡発行会関係者では、橋本幸男・岡山真知子〔写真(4)前列左の麦藁帽子と右隣〕が参加しています。
●遺跡発行会が刊行されている『遺跡28』(1985)でも上黒岩岩陰遺跡の資料紹介を十亀さんはされていますよね。その当時の話などを教えてください。
十亀:当時はまだ、調査後の残土が残されていて採集することができ、発見者の竹口さんや松本重太郎先生〔写真(3)〕の資料とあわせて報告しました。
●この他、遺跡発行会が出されている会誌『遺跡』の各特集にも上黒岩岩陰遺跡が掲載されていますよね。
山之内(1965年生まれ):『遺跡50』(2016)「愛媛の古代装身具」、『遺跡55』(2023)「特集◎愛媛の縄文・弥生時代の石器(III)」などですね。
●そういえば、2017年の遺跡発行会の例会でも上黒岩岩陰遺跡に行かれてますよね。
河原(1943年生まれ):ちょっと寒い年末でしたね。高等学校の教員をしていた頃以来でしたけど。当時も遺跡付近に住まれている方が説明していました。中学生が発見したというエピソードが印象に残っています。学校との繋がりは大切で、地域で生徒に話したりすることは大切だと感じますね。
●今後の課題などをお話しください。
十亀:『遺跡55』(2023)の「宇和島市三本杭(標高1226m)山頂採集の旧石器」で上黒岩岩陰遺跡の旧石器に関連して言及していますが、上黒岩岩陰遺跡を利用した集団についても検討が必要です。これは縄文時代の遊動など含め、現在の考古学でも大きな課題です。
継続的な調査をお願いするとともに、愛媛県を代表する縄文遺跡として、多くの方に知っていただけるよう活用をお願いします。
●愛媛を代表する考古学グループとの貴重な座談会の中で、上黒岩岩陰遺跡との関わりがこれほどあったことに驚かされました。
問い合わせ先:久万高原町教育委員会
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