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佐田岬民俗ノート 224

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愛媛県伊方町

■「三机小150周年」
♪朝日に映える須賀の森 松の緑はわが心♪
三机小学校の校歌は、三机らしさが歌詞中に散りばめられたとても素敵な校歌です。令和5(2023)年11月23日に開催された創立150周年記念式典でも元気よく歌われていました。
明治6(1873)年に開校した三机小学校は今年150歳になりました。明治6年といえば石鉄県と神山県が合併し、愛媛県が成立した年でもあり、この頃に地租改正などの新政策もスタート、各地で新たに学校が新設されています。
三机では、学制が発布された明治5(1872)年の翌年、明治6年5月に三机浦から(校区に小島浦・川之浜浦・大江浦・塩成浦・釜木浦を含む)「学校取設之義ニ付願」が提出されました(注1)。そこには学校設立にあたって経営基金として三机浦の菊池軍蔵ら7名がお金を出し合い、また、三机浦にあった旧御番所地を売り払う予定でその代価を充てると書かれています。同年11月には県が三机浦所在の「第五十二番小学」(生徒20人)の設立伺い書を文部省へ上申、翌7年3月に認可を受け、同年9月には「三机小学」と改名されています。
明治15~16年には分校を塩成・大江・足成に設置、校区内には明治23(1890)年に小島と志津に簡易小学校が開校しました。現在は全て統合され校区内の児童は三机小学校に通っています。
校名も時代の流れと共に度々変わりました(明治43(1910)年には三机尋常高等小学校、昭和16(1941)年には三机国民学校、昭和23(1948)年には三机小学校と改称)。
佐田岬半島で最も古く、いろいろな歴史の詰まった三机小学校。じっくり掘り下げると、佐田岬半島の新たな一面が見えてくるかもしれませんね。

参考文献:
柚山俊夫「佐田岬半島における明治時代の学校事始め」
『町見郷土館研究紀要』
第1号2011
『瀬戸町誌』など
注1:明治初期の学校設立の手続きは、村浦から県へ設立願書を提出、県から文部省へ設立伺い書が上申されて認可をうけるという手順でした。

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