■「大久の念仏講」
大久地区には「念仏講」とよばれるグループがあります。大久地区では人が亡くなると、同じ念仏講の人たちが主となって葬式の準備(土葬の時の穴掘りや料理作りなど)やその後の念仏を行っていました。基本的に講中の家が変わることはなく、また、地域内でも離れた家々で構成されています。
この念仏講、かつては大久地区内だけでも十数組ありましたが、現在も機能しているのは1組のみです。この組では家で葬式を行うことが少なくなり、葬式の準備をすることが少なくなった現在もモウシハジメ、お盆、モウシオサメの年に3回、「宿」と呼ばれる当番の家に集まっています。
2024年1月16日には、「モウシハジメ」が行われました。宿に講中の人が集まり鉦に合わせて念仏を唱えます(写真1)。全て唱え終わると、集まったメンバーで飲み食いを行います。昭和以降は参加者や飲食時の購入品が記録された「念仏講帳」も一緒に回し、集まる度に記録しており(写真2)、食事の移り変わりがわかる非常に興味深い資料です。例えば、焼酎からビールに変わったこと、冬は甘酒が飲まれていたことなどが記されています。
かつての葬式は地域にとって一大行事で、多くの人手と労力と人々の結束を必要としました。そんな中で、「念仏講」はつながりを強固にする、とても大切な仕組みでした。
調査協力:大久地区念仏講の皆さん
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