■広島研修
◆平和とは何か
弥富中学校 森 蒼太郎(もり そうたろう)
【被爆の悲惨さ】
原子爆弾は第二次世界大戦時に、世界で初めて使われてアメリカが広島県に落とした核兵器です。原爆が投下された時、広島市には市民や軍人など合わせて約35万人がいたと考えられています。原爆によって亡くなった人の数は約14万人と、広島市全体の2/5が失われています。
【平和記念資料館】
平和記念資料館では実際に被爆した人が着ていた服や原爆が落とされた後の広島の写真などが展示されていました。それらはとても痛ましかったです。資料館にはほとんどの物が実物で置いてありました。
資料館を見学した後は、戦争がどれだけ恐ろしいことで、今がどれほど平和なのかを改めて実感しました。
【広島に投下された原爆】
ウラン235が臨界量以上になると100万分の1秒という、ごく短い間に核分裂連鎖反応が起こり、膨大なエネルギーが一度に放出されました。アメリカは原爆をつくるため「マンハッタン計画」というプロジェクトを始めて、たくさんのお金を使いました。多くの科学者が参加しました。
【広島研修を終えて】
二日間の広島研修を通して、日常生活では知れなかったことを多く学ぶことができました。戦争時は、今当たり前のことが当たり前でないことを知りました。
【私たちが考える平和とは】
原爆ドームを見たときはここで多くの人々の命が失われたことを実感しました。戦争は関係の無い人々まで巻き込む恐ろしいものです。しかし今、世界では絶えず内戦や紛争が続いています。
さらに世界で核弾頭の数は12,512発でそのうち3,844発がすぐ使えるようになっています。
日本で戦争を経験した人達が減ってきているので次の世代に核や戦争の恐ろしさを自分達が伝えていく必要があり、世界にも伝えていく必要があると思いました。それが私たちにできて、世界の平和につながるのではないでしょうか。
◆広島平和学習
弥富中学校 吉田 陽哉(よしだ はるや)
【原爆ドーム】
現在、原爆ドームと呼ばれている建物は、大正4年に広島県の物産品の販売を図る拠点とすることを目的として建てられた「広島県物産陳列館」という名称でした。その建物は、チェコ人の建築家ヤン・レツルが設計し大胆なヨーロッパ風の建物で、広島県の一つの名所となりました。しかし、原爆の炸裂による熱線と爆風によって、建物は、大破・全焼し中にいた人は全員亡くなりました。しかし垂直方向からの圧力に強かった部分の一部が残りました。
【なぜ原爆が投下されたか】
アメリカは、原爆の開発が進む中で日本への使用を検討しました。昭和20年春以降、日本の戦況が、圧倒的に不利の中アメリカは、長引く戦争を終結させるための手段として原爆を使用しました。広島に投下された理由は、7月末に広島、小倉、新潟、長崎に絞られ、8月2日には、優先順位は、広島、小倉、長崎の順になりました。アメリカが知る限り小倉には、捕虜収容所があり、広島にはなかったことから広島が第一目標となりました。そして、1945年8月6日午前8時15分広島市上空で、原爆(リトル・ボーイ)が投下されてしまいました。
【広島研修を通して】
僕は、今回の広島研修を通して、今、自分が当たり前のようにできている、食事など生活に大きく関わることが、この戦争時では、当たり前ではないということを学ぶことができました。また、戦争時の街の様子などは、今の日本では考えられないぐらいの状態になっていたということも、広島研修を通して心に残りました。
【僕たちが考える平和】
僕が思う平和というのは、世の中で戦争など争いがないことはもちろん、学校生活の中でもみんなが相手の気持ちをしっかり考えた、行動や発言をして嫌な気持ちをしている人が少なくなることが平和だと思います。
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