歴史民俗資料館の学芸員・田中が町にまつわる歴史や文化等を紹介するコーナーです。
◆江戸時代から決まっていた奉納順
19世紀初め、豊かな商人が増え、貨幣経済が農村部にも広がり始め、町人文化が華開きます。
武雄神社の祭礼でも2輌だった山車が5輌に増えました。5輌の山車が武雄神社に勢ぞろいするのに、どの山車が一番に「いさみ」を奉納するかで争いがおこるようになりました。次第に騒ぎが大きくなり、「喧嘩祭り」と呼ばれる騒動が起き始めました。
三井家と武雄神社にこの時の顛末を記した文書があり、庄屋三井傳左衛門が大きな役割を果たしたことが分かります。文書の中には、奉納順を「小迎組(上ケ組)、市場組、下門組、馬場組、上ケ組(小迎組)」としたと記されています。その後、玉貫組が加入し、山車が6輌になりましたが、奉納順は変わっていません。奉納順が江戸時代から変わってないなんて驚きですよね。
顛末の記された文書を5月18日から始まる長尾村庄屋三井家展で展示します。ぜひ、見に来てください。
問合せ:歴史民俗資料館
【電話】73-4100
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