■相川鶴子金銀山
硬い金鉱石に含まれる「目に見えない金」を得るため、様々な技術と生産の仕組みが発展しました。
■西三川砂金山
佐渡で最古とされる砂金山です。「目に見える金」である砂金を効率的に得る「大流し」という独特な採掘が行われました。
■相川鶴子(あいかわつるし)金銀山
▽散策ポイント
このエリアは、きらりうむ佐渡を見学してから、道遊の割戸まで散策するのがおすすめ!
(1)きらりうむ佐渡
佐渡島の金山の玄関口として、資産の紹介と現地訪問に関する情報発信を行っている施設です。館内の展示室では大型の映像、模型、グラフィック等で資産の価値や魅力をわかりやすく解説します。観光案内所も併設され、ガイドツアーなど現地探訪のための情報提供もしています。
(2)佐渡奉行所跡
徳川幕府は佐渡奉行を派遣して、鉱山の管理・運営のほか直轄地として島全体の統治にあたらせました。奉行所は拠点となった場所で敷地内には行政・司法に携わる施設に加え、選鉱や製錬・精錬など金銀生産の工場が併設されていました。
(3)相川上町地区
相川金銀山の鉱山地域南側の尾根上に設けられた鉱山町です。17世紀初め、佐渡代官(のちの奉行)大久保長安は相川に奉行所を設置し、奉行所と採掘場所を結ぶ主要道に沿って規格性・計画性の高い地割りを持つ町の建設を進め、職業別の街区を定めて人々を住まわせました。創建当時の名残が今も残り、鉱山町の雰囲気を伝えています。
※私有地への立ち入り、車両の乗り入れはご遠慮ください
(4)宗太夫間歩(そうだゆうまぶ)
江戸時代初期の大型の斜坑道を代表するもので、鉱石の運搬や排水作業のために効率が良い傾斜で掘削されています。壁面には手掘りによる鑿跡が残っています。狸掘り(鉱脈を探すための小規模な探索坑)や枝分かれする坑道などから、当時の採掘作業の進め方がわかります。
(5)道遊の割戸
国内最大の露頭掘り跡(延長約120m、幅10~30m、深さ74m)です。手作業で鉱脈部分だけを掘り取ったため、山の中央部がV字状に割られたようになっています。18世紀の絵巻にも山が割られたような姿が描かれており、江戸時代にすでに今の姿だったことがわかります。
番外編
(6)北沢浮遊選鉱場跡(きたざわふゆうせんこうばあと)
この施設では、銅の製造過程で行われていた技術であった浮遊選鉱法を金銀の採取に応用し、日本で初めて実用化に成功しました。戦時下の大増産計画によって大規模な設備投資がされ、1ヶ月で50,000トン以上の鉱石を処理できることから「東洋一」ともうたわれました。
Interview
■念願かなった世界遺産登録のこれまでとこれから
前 新潟県世界遺産登録推進室長 小田由美子さん
新潟県が佐渡市と共同で世界遺産登録を目指すことになった平成18年から令和6年3月まで、登録推進に関わってきました。何度も推薦枠に選ばれず、推薦書の足りない部分を指摘されて再度取り組んだりと、時には落胆することもありましたが、佐渡市の皆さんと一緒に頑張りました。担当になって初めて金山などを見て回ったときは、こんなに素晴らしいものが佐渡に、新潟にあったのかと驚きました。手工業の時代の金生産の遺跡などは、今後も調査・整備が必要ですし、その世界的な価値をどう伝えるかがこれからの課題だと思います。県内初の世界遺産であり、佐渡だけでなく新潟県、日本全体で守っていかなければいけない遺産です。
県民の皆さんもぜひ、足を運んでいただきたいと思います。
▽プロフィール
大学では考古学を専攻。県の職員として、発掘調査等に携わった後、長きにわたり世界遺産登録推進を担当。令和2年から世界遺産登録推進室長として活躍し、定年退職後も専門調査員として今年3月まで従事。
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