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古文書でタイムスリップ

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新潟県関川村

■「江戸時代わが村の暮らし」(36)
安永四年 小見村への年貢割付状
〜「歴史とみちの館」所蔵・平田家文書を読む〜
(村歴史文化財調査委員 渡辺伸栄)

江戸時代の税は、田畑にかかる本税と、それ以外の諸税の二種類に分けられます。
前号で紹介した定免願は本税の話です。では、諸税について、安永四(一七七五)年の小見村への年貢割付状(写真は部分※本紙参照)で見てみましょう。
毎年十月になると、代官所から各村へ、その年に納めるべき税が通知されます。それが年貢割付状です。
本税として、田畑合計で五十二石八斗二升二合の米を納めるように、とあります。
諸税はというと、次のようになっています。
(1)村の産物を現物で納める税
大豆一石二斗七升六合とエゴマ一斗五升六合。
(2)本税とは別に、米で納める税
二石一斗一升三合七勺五才。
これには、東海道などの宿場の維持費用として八升九合八勺一才、江戸城の人夫費用として三升八勺四才などがあります。
また、酒屋の税や、大豆の一部を米で代納する分なども入っています。
一合(百八十ミリリットル)より小さい勺や寸の単位まで細かく出しています。多分、決まった割合の計算式があったのでしょう。
(3)金銭で納める税
銀が九十六匁三分七厘、永が三百七十四文二分五毛、銭が三百文。
銀貨で納めるのは鮭川、漆、薪、縄、材木などの税。永というのは金貨の計算単位のことで、この税は江戸の幕府米蔵の経費です。銭で納めるのは、林の税。これらすべてを金貨に換算してみると、二両ほどになります。
諸税の税目は全部で二十三項目あって、何のための税かが細かく示されています。税の目的や使途を理解させたうえで、全国から広く薄く集めていたようです。幕府といえども、納税者の理解を得ることは、大事だったのでしょう。
割付状の最後には、こう書いてあります。
この納税通知の通り、村の百姓はじめ小見村の田畑を耕す村外の者も含めて甲乙なく割当て、十二月十日までに必ず完納するように。
甲乙なくとは不公平にならないようにという意味です。村に通知された税を各家に割り振るのは、庄屋たち村役人の役目。大仕事だったでしょうね。
(原文と解説は歴史館に展示、又は、下の本紙QRから)

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